Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧

☆「掌中の葉」(翻訳文)5-9

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 過去のいくつかの不善な業力が、十分に強大である時、あなたは、一時的な力でもって、それを克服することは不可能である(+ことを知り)、その不善の果報がおのずと消耗されつくすまで、それを自然のままに、消…

☆「掌中の葉」(翻訳文)5-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1、過去の悪因が、今・ここにおいて熟す事によって、負のエネルギーが生じたもの 毎日、毎分、一秒毎でさえも、業力によって生じた、色々な色法またはエネルギーが、我々の身体上に生じる。 もし、今・ここにお…

是誰庵のひとやすみ~マインド・フルネス

日本語で<愚痴>と書くと、口で埒もないことを言う、という意味になります。 中国語で<愚痴>と書くと、愚かで無知なさま、という意味になります。 中国語の仏教書を日本語に翻訳する時、この<愚痴>はどっちの意味かな?とちょっと考えてから、訳文を入…

☆「掌中の葉」(翻訳文)5-7

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 粗くて明確な五蓋以外に、五蓋の性質は、微細で、潜在的である可能性がある。 高度の警戒心と経験に欠けている時、あなたは、あなたの心がすでに、微細な五蓋に汚染されていることに、気が付かない。 たとえば、…

☆「掌中の葉」(翻訳文)5-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 五蓋 ある種の人間についていえば、行道は艱難である。というのも、彼らは、五蓋などの、敵対的な状況の、頑強な対抗を受けるが故に。 《清浄道論・第三章・第15段》 五蓋(五種類の障礙)とジャーナは、互いに対…

☆「掌中の葉」(翻訳文)5-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 3、人が、神通の修習に、あまりに熱中する時、彼は、禅定の微細な進展を味わったり、注意を払ったりしない。 4、彼は修行の時、つねに神通の事象を追い求め、心の微妙な発展を疎かにする: すなわち、粗くて明…

☆「掌中の葉」(翻訳文)5-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (六)旅行 1、旅行とは、道を行くこと。 2、修行の期間に旅行を計画するのは、それがたとえ聖地への巡礼であっても、障礙になる。 3、(+修行者は)旅行をしたい、という考えを捨てるべきである。 (七)親…

是誰庵のひとやすみ~もっと自由に!その2

私たちには、信教の自由があります。 自分なりに色々考えて、結局、クリスチャンであることを選んだ。 イスラム教徒であることを選んだ。 マルクス主義だって、政治に傾いているとはいえ、それで人間が幸福になると信じて、熱心に活動している点においては、…

☆「掌中の葉」(翻訳文)5-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (四)衆生(=信徒、門弟) 1、ここでいう衆生とは、経を学ぶ信徒または論を学ぶ門弟などを指す。 2、彼らを教えたり、彼らの質問に答えなければならない為に、彼(修行者)は、禅の修行をする時間がない。故…

是誰庵のひとやすみ~翻訳再開します

PCが戻ってきました。 配線の接触が悪かったみたいで、修理箇所なく、点検しただけで、戻ってきました(ホッ)。 私のPCはタワー型なので、タワーとモデム、タワーとディスプレイなど、あちこち繋ぐべき配線が多く、機械音痴の私、取り付けに、四苦八苦。 で…

是誰庵のひとやすみ~ペースダウン

パソコンの調子が悪いので、電気屋さんに入院しました。タブレットでの入力は骨折りで、翻訳公開は、休み休みとなります。悪しからず。

☆「掌中の葉」(翻訳文)5-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (一)住所(住まい) 1、これは、すべての人々にとって、障礙だという訳ではない。 建築などの作業に熱心に従事する人々にとって、または己の住む所に、非常に多くの品物を備蓄するのが好きな人にとって、初め…

☆「掌中の葉」(翻訳文)5-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第五章 修行の障礙 10種の障礙 住所家利養(住まいと、家庭と、利益) 衆与業第五(衆生と、仕事が五番目) 旅行親戚病(旅行、親戚、病) 読書神変十(読書と神通で十)。 《清浄道論・第三章・第29段》 障礙…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4- 24

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 仏随念 【方法】仏陀の9種類の功徳を思惟する: 阿羅漢:彼はすでに、煩悩を滅し除いた。 正遍知:彼は己自身によって、円満なる正覚を証悟した。 明行足:彼の智慧と徳行は、完成された。 世間解:彼は世間を理…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-23

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ●では、どのようにすれば、慈心の感受を育成し、育てていけるか? 慈心の育成と成長は、決して急いではならない。 最も重要な事は、衆生の真・善・美が見えるようになる事である。 ●簡潔に言えば、「美」が見えれ…

是誰庵のひとやすみ~もっと自由に!

過日、8月15日はお盆でした。 私は日本生まれの台湾人で、日本の風習がよく分かりませんが、私の住む Y 盆地の花火は綺麗でしたし、盆踊りは、謡われる<クドキ>に哀愁があって、よかったです。 ただ、一つ、気になる事があります。 私の住む、Y 盆地の…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-22

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 慈心禅 【方法】一切の衆生が危難から遠離し、精神の苦痛から遠離し、身体の苦痛から遠離し、かつ健康で楽しくあるように、祝福する。 願我遠離危難 願我遠離精神的痛苦 願我遠離身体的痛苦 願我健康快楽(=楽し…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-21

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 慈心禅と仏随念 伝統的に、たとえば、慈心禅などの、止禅業処を修習する時、我々は、完全な禅の修習に関する教えを、応用しようとする。 この完全な、禅の修習に関する教えには、多くの要点が含まれているが、し…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-20

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> なるべく速く第一、第二、第三、または第四禅を証悟したいと思うが故に、非常に多くの修行者は、(個人向けの)特別業処を、急いで修習しようとする。 彼は軽率にそそくさと「普通適用業処」を修習するか、または…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-19

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 仏陀は、二番目の定の修習方式を、良馬の定の修習方式だ、と言った。 仏陀は山達比丘に言う: 「山達。良馬の方式でもって、定の修習をなせ。決して、駄馬の方式で、定の修習をしてはならない。」 「山達。何が、…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-18

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 普遍適用業処(=普遍的に適用される業処) あなたの性行を観察し、あなたの過去の修行(+の様子)を知った後、教師は、あなたに対して、個人的に適合する特別業処(=特別な業処)を与えることができる。 しか…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-17

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 実際、それぞれ各種の善法の修習は、諸々の、たとえば、貪などの煩悩を調伏するのに、有効である。 それぞれ各種の、善法の修習は、信心などの善法を強化・増長させるのに、有益である。 《清浄道論・第三章・第1…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4‐16

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 業処 修行者は、40種類の業処の中から、己の性行(性格と行い)に合致する業処を探し、得るべきでる。 《清浄道論・第三章・第103段》 《清浄道論》に記載される業処は、合計40種類である。《アビダルマの理論と…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-15

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (二)貪/尋行者 形も悪く、色も醜く、一見して嫌悪を感じる住まい。 1、場所は高すぎても、低くすぎてもいけない。 2、よい設備がない。 3、高い崖にある山の洞窟、草ぶきの家、柴の庵。 4、ゴミが散乱し、…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-14

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 住まい ある種の性行をもつ修行者にとって、どのような住まいが、適切であろうか? 多くの修行者は、修行する為の住まいは、簡素で素朴なものが良いという認識を持ってはいるが、しかし、《清浄道論》の記載によ…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-13

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (二)十分な時間をとって、あなたと対話・討論をして、あなたに自分自身を、十分に表明させる あなたは教師と、率直な気持ちで交流しなければならない。何か問題を投げかけられた時には、正直に自分の見解を述べ…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-12

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 簡潔に言えば、外見だけで、己自身の性行を判断してはならない。更に良い方法は、一人の他心通を擁する教師を探し、見つける事である。 もし、他心通を擁する教師を見つける事ができないのならば、あなたを善くて…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-11

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (2)瞋行者、覚行者 歩く=つま先を使って、地面を掘るようにして歩く。彼の足は、急ぎ地面を踏み、急ぎ足を上げ、その足跡は尾が長い(足の後ろ側が長い)。 立つ・座る=頑固な姿勢で、立つか、または座る。 …

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-9

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (三)尋と痴 いまだ生起しない善法を生起させるために、痴行者は、精進の方法を種々、画策する。 しかし、これらの方法は、彼の成功を助けないだけでなく、却って、彼の成功の障礙になる。 言い換えれば、痴行者…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 性行の識別方法 威儀与作業(威儀と行い)、 而食及見等(食事や、見る時など)、 於法之現起(法において顕になるが故に)、 弁知於諸行(諸行において識別を得る)。 《清浄道論・第三章・第87段》 《清浄道論…