Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2017-09-01から1ヶ月間の記事一覧

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-12

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 今回、彼女は完全にこの原則を守り、一心に ”ブーーッダ” と念ずることに、専注した。 念じ念じて、妄想が無くなると、意識流が心中の一点に集まって来た。 先ほど誓ったばかりの、誓願の強力な力によって、彼女…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-11

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 一日置いた日の早朝、メーチ・ケーウは朝食が済むと、作務を免除してもらい、即刻、茅葺小屋に戻って、急ぎ、座禅した。 己の覚知をしっかりと、心身の範囲内に結び付けるよう、己に要求した。 彼女は、心が外に…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 当你的心対自性的領悟彷彿繁花般盛放、 (錦の花々が、満を持して咲き誇るように、 あなたの心に、自性に対する領悟が得られる時) 那漫長無際的苦悩之尽頭、 (長く、際限のない苦悩の尽きる果てが) 将慢々出現…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-9

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> アチャン・マハブーワは、彼女の頑なで、無知なる様に、これ以上耐えきれず、以前の作風を変えて、彼女に、心が外へ向かって、外部の境界を探索しないように、強く要求した。 というのも、このまま、覚知の間違っ…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 何週間かの後、アチャン・マハブーワは、彼女が指導を聞き入れない事に、気が付いた。 その為、アチャン・マハブーワは、禅修行の時に、いか程かの時間、心を完全に内に向けて、専注するようにと、きっぱりと、告…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-7

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> アチャン・マハブーワは、すぐに、問題の所在に気が付いた。 高明な禅師が、この種の、忘我の熱狂的行為を制止しなければ、猛進的で、強くて力のある心は、彼女をして、これらの境界に関する解釈を、誤らせること…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1951年1月、アチャン・マハブーワは、一群の頭陀僧を連れて、磐山から遊行しながら下りて来て、卉晒村北部の山の麓にある、緑濃い森林の中に、足を止めた。 各自各々は、頭陀僧の伝統に従って、淡泊な修行生活を…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> アチャン・マハブーワは、心内の根本無明の保塁を攻撃し、無明の内にある、司令部を包囲するために、念と慧を運用して、相手を遁走させる事のできる軍隊を、組織した。 彼は念でもって、煩悩からの防衛とし、慧で…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 完璧なる心霊の戦士として、アチャン・マハブーワは、心内の煩悩を、不倶戴天の敵と見做して攻撃し、煩悩が徹底的に降伏されるまで、手をゆるめなかった。 長年来、彼の修行は、生死を賭けた戦場と化し、一回毎の…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-102

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-8-6-1 喜と楽 喜(pīti)と楽(sukha)と、それらに相応するジャーナ名法は、同時に生起する。 それが依存するのも又、有分(意門)が依存する所の、心所依処である。 しかし、それらは身浄色に依存して生起す…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 真理を追究したいという欲望は、彼女をして、輪廻の中の、最も高等な、最も深いレベルの生命を、観察せしめた。 長期的な観察を通して、彼女は、各種の天界の衆生を見、彼らがお互いに交流する方式、習慣、風俗と…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5‐2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 彼女は目を閉じると、座っている所の下部、その底が開いたように感じ、己は崖から、または井戸から落ちて行き、一つの空間に、入りこむような気がした。 その過程において、いくつかの瞬間に、異なる映像の断片が…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-1(155/244)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第三章 聖道への歩み 有智慧的人看到自身的固執、 (智慧ある人は、己の固執に気が付くと) 認出那是固執; (それは固執であると認める) 看到陰暗、認出陰暗; (心の闇に気が付くと、それは闇であると認める)…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-61

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 朝の曙光を見ると、彼女はすばやく心身を摂し、寒風の中を、仏殿まで行って、皆に会った。 彼女は話し始めると、目から、涙が零れた。 涙は、一粒一粒、アチャン・マンが最後に示した事績ーー彼の姿、彼の警告、…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-60

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> その日、メーチ・ケーウは、黄昏時には、すでに座席に座って、瞑想していた。 夜の12時になって、心が、深くて繊細な静止状態になった時、突然、アチャン・マンの、光を放つ身体が、これが最後とばかりに、顕現し…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-59

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 一年また一年と時は過ぎ、メーチ・ケーウは変化の急流ーー諸行無常の法則ーーが、アチャン・マンの色身の上に、降臨したのを見た。 彼の心は依然として、ダイヤモンドのような光芒を四方に放っていたが、しかし、…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-58

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> アチャン・マンは、三界の導師であったーー阿羅漢以外の。 すべてのーー見えるもの、見えないもの;知っているもの、知らないものーー衆生の導師であった。 彼はメーチ・ケーウの心が擁している能力を評価したが…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-57(145/244)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> アチャン・マンは常に、情熱をこめて、かつ行き届いた配慮をして、メーチ・ケーウと彼女の弟子に呼びかけ、また、彼女たちの様子を聞いた後には、彼女たちを励まし、褒めた。 その後、彼女たちを寺院の端の暗がり…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-56

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 悠久の大地に聳える山々を、二週間近く這い登り、大きな山や深い谷を渡り、休耕田や果樹園を横切り、12日目の午後、メーチ・ケーウの一行は、アチャン・マンの森林寺院の傍に到着した。 彼女たちは、先にノッピ村…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-55

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 一行は疲れ果てて、小さな村に到着した。 当地の貧しい村民は、食べ物とその他の必需品を提供してくれた。 その供養の中身はともかく、彼女たちは、感謝と真心でもって、それを受け取った。 その後に、小川の隅で…

是誰庵のひとやすみ~仏縁

私は日本生まれの台湾人・・・バイリンガルなので、中国語の翻訳は得意です。 ただ、日本も同じ漢字圏、油断すると、とんでもない事に。 たとえば、手紙。日本語では手紙、中国語ではティッシュの事(知る人は知る、有名ですよね) たとえば、愛人。日本では…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-54

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 山道を辿る高山は、人がほとんど住んでおらず、供養を受けることが難しいので、彼女たちは食糧を携帯したが、高山の区域を過ぎる頃には、食物は食べ尽くし、その後は、当地の村民の布施に頼った。 これらの小さな…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-53(141/244)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 毎個人生下来了就注定会死、 (人は生まれたからには、必ず死なねばならず) 然後再出生、 (その後に、また生まれる) 如此一次又一次在苦海中輪廻不止。 (そして、次から次へと、苦海に輪廻して止まない。) …

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-52

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 歩く瞑想をした後、精神は渙発し、気力は満ち満ちた。 彼女は、経行道の端にある、葉が茂る、枝振りの良い沙羅の木の下で、作務の始まる午後3時まで、座禅した。 彼女たちは一緒に掃除をし、新しく穿った井戸で水…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-51

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 卉晒村の女性道場の生活は、静かで素朴で、日常生活のすべての場面において、覚醒、覚知を育成する事を強調した。 メーチ・ケーウは、禅修行に精通していたので、新しく入門した女性たちの、修心の法門と、その方…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-50

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 前の四つの戒ーー殺盗淫妄の禁止ーーは、仏教における出家生活の根本的道徳を言い、その他の戒は、修行における原則であり、それは、心身の清浄の助縁となり、四つの基本的戒を展開したものである。 もし、メーチ…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-49

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 卉晒女性道場は、メーチの理想的な修道生活のモデルを作り出し、解脱を追求する大勢の女性たちが、門を叩いた: この道場の出家の女性たちは、世俗社会を捨て、夫や子や親族と別れ、一切の男女関係を断つことを誓…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-48

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 身為出家人生活淡泊、 (出家の身、生活は淡泊に) 困苦是免不了的。 (艱難辛苦は当たり前。) 我們一定要耐得住、 (一に忍耐、二に忍耐) 切不可偸懶或抱怨、 (怠けてはならず、恨んではならず) 面対任何情…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-47

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> この深遠なる覚醒が生起した時、彼女の心は、突然、徹底的な静止の状態の落ち込んだ。 彼女の心内の奥深い所で、一つの微弱な光が光を放ち、躍動し、益々光り輝いた。 その光は不断に拡大し、最後には、心全体を…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-46(133/244)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 禅修行の時、彼女は身体を一片一片、一層一層と分解していった。 皮膚を観察してみると、彼女は、非常に薄い組織が、筋肉と内臓の上に覆いかぶさっており、一見したところ清潔そうに見えるものの、子細に検査する…