Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧

般若の独り言ー好高WU(務+馬)遠

今朝、久しぶりに剪定バサミを持って庭に出ました。 去年の年末から今年の春にかけて、ここ九州の盆地は、何度も何度も、零下7~10度を記録したため、庭の木々が相当に弱っています。 父が好きだった台湾原産の玉蘭も、祖母のために植えたジューンベリーも…

『24縁発趣論』2-8

〔現在使用中の緊急用ノートPCの調子が悪いため、校正などは後日とさせて頂きます。メール送信も、成功したり不可であったり。あしからず〕 《願以此功徳 正法久住世間 早日証涅槃》 今、私は、法所縁について説明する。 所縁は六種類ある。すなわち; 1、…

FDC資料『37道品ハンドブック』2-7 Ledi サヤドー

《願以此功徳 正法久住 早日証涅槃》 <以下の翻訳文は、福岡ダンマセンター法話会用資料です> ここに一本の急流がある。 どのように舵をとればいいのかよく分からない船頭がいて、急流にそって流れ下っている。 彼の船は、下流の町々で必要とされている商…

FDC資料『37道品ハンドブック』 2-6 Ledī Sayādaw著

<以下の翻訳文は、FDC(福岡ダンマセンダー)に供する資料です> 「心は悪を喜ぶ」《法句経》 ”急ぎ善をなし、罪悪心を静止せよ。善をなすに怠慢な者は、その心は、悪に喜ぶ。” ちょうど、水が高いところから低いところへ流れるように、有情の衆生は、も…

飛び入り翻訳_『24縁発趣論』2-7

では、どうやって守るのか? 目を閉じたり、耳を塞いだり、鼻をつまんだりするのだろうか? 根門を守るということの意味は、我々は、我々の心をいかなるときにおいても、禅の修行の目標の上に置く、たとえば、呼吸などに、ということを意味する。 このように…

般若の独り言_PC調子悪し

一昨日からデスクトップPCの調子が悪いです(直るかどうか分かりませんが、入院中です)。 以前、台湾で買っておいた小型のノートPCを出してきて、とりあえずメールなどの確認をしていますが、台湾製なので、キーボードの位置が微妙に異なり、また、小さい…

訂正-hari様、誤植ご指摘ありがとうございます。pcの調子が悪く取り合えず、ここにてお詫び。修正は後ほど。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』2-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 睡眠の時以外、我々の六根は、刻々開放されている。 目は毎日何かを見ているし、耳は毎日何かを聞いているし、鼻は毎日何かを嗅いでいるし、舌は毎日何かを味わっているし、身体は毎日何かに触れているし、意識は…

FDC資料「37道品ハンドブック」2-5 ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 【以下の翻訳は、福岡ダンマダンマセンター(FDC)の法話会に供する為の資料として翻訳したものです。興味のある方はご参照下さい】 同様に、ある種の修行者は、斎戒日に、静かな場所を探して、身体の32の部分、…

FDC資料「37道品ハンドブック」2-4 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 【以下の翻訳は、福岡ダンマダンマセンター(FDC)の法話会に供する為の資料として翻訳したものです。興味のある方はご参照下さい】 もし、この精神病患者が、一人の優秀な医師に出会い、かつ正しい治療を受ける…

般若の独り言~釈迦の恥

世の中には、ひとたび原始仏教(南伝仏教・テラワーダ)に触れると、それはすべて仏陀の金口で、すべて正しいと思い、返す刀で、北伝の大乗仏教はすべて間違っている、と主張する人が、ままいるように見受けます。 私も若い頃、原始仏教に出会った時は、 「…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』2-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 所縁 ārammaṇa または ālambana は、心と相応する心所が、楽を取り(=楽しみに執着し)、そこに留まる所の、目標である。 心は、なぜ生起するのか? 所縁の関係によって、である。 ひとたび所縁がある所、心は生…

FDC資料「37道品ハンドブック」2-3 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 【以下の翻訳は、福岡ダンマセンター(FDC)の法話会に供する為の資料として翻訳したものです。興味のある方はご参照下さい】 四念処の詳細な論述については、《大念住経》(長部第22経)を参照の事。 では、なぜ…

FDC資料「37道品ハンドブック」2-2 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 【以下の翻訳は、福岡ダンマセンター(FDC)の法話会に供する為の資料として翻訳したものです。興味のある方はご参照下さい】 「安住」とは、一人の修行者が、呼気と吸気において、一時間専注したいと思う時、こ…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』2-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 速行心の後の心は、彼所縁と言う。 彼所縁は、速行心の所縁と同じ所縁を取る。彼所縁は通常、二回生起するが、これは、彼所縁の法則である。 故に、三つの有分(離心路心)に、眼門心路の14個の心識を加えて、合…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』2-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 次に続くのは五門転向心で、それの作用とは、心を所縁に向ける事である・・・ちょうど以下のように<尋ねるが如く>である: これは何であるか? 色であるか? 音であるか? 味であるか? などなど。 もし色彩で…

FDC「37道品ハンドブック」2-1 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 【以下の翻訳は、福岡ダンマセンター(FDC)の法話会に供する為の資料として翻訳したものです。興味のある方はご参照下さい】 第二章 四念住 「念住」の定義とは、全心全意(=全身全霊)でもって、落ち着いた気…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』2-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 先に、眼門心路過程について説明する。 色彩所縁(色塵)は、同時に有分と眼浄色(またの名を眼根という)と衝突する。 その衝突の一刹那、一つの有分は、生・滅して去る。 その後に、有分波動が二個出て、(その…

FDC資料「37道品ハンドブック」1-1(Ledī Sayādaw 著)(33/125)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <以下の翻訳文は、福岡ダンマセンター(FDC)の法話会に供する為の資料として翻訳したものです。興味のある方はご参照下さい> 第一章 今、私は37道品(=菩提分)について、簡潔に説明したいと思う。 この37道…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』2-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 2、所縁縁(Ārammaṇapaccayo) 所縁縁とは何か? この縁の縁法は、六所縁であり、それは縁生法をして、その目標を取らせる為に生起する。 六所縁の内の何か一つを、目標として取る心及び心所は、縁生法である。 …

飛び入り翻訳~『24縁発趣論』1-12

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 現代は、青春の為、健康の為、長寿の為に、という各種のレッスンが流行している。 というのも、これらは皆、人間の好むものであるが故に。 多くの人々は青春を保ち、健康で長寿であるようにと、お金を払って、各…

飛び入り翻訳~『24縁発趣論』1-11

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 煙草好きな人を例にとれば、彼は煙草が好きである、というのも、煙草は彼に楽しさを齎してくれるから。 しかし、長期間煙草を吸ったのが原因で、彼は肺がんを患う(+であろう)。肺がんはまさに、欲楽を享受した…

飛び入り翻訳~『24縁発趣論』1-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> しかし、この失明者はその服に対して、すでに強烈すぎる程の執着を擁していたので、母親の言う事を聞き入れず、この服を着続けて、あちらこちらに自慢して回った。 母親は思った: 「今、残された唯一の方法は、…

飛び入り翻訳~『24縁発趣論』1-9

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 貪・瞋・痴と無貪・無瞋・無痴は、縁法であり、それらの縁生法は、一つの因ごとに相応する名法及び俱生の色法である。 俱生色とは、結生の時に生起する業生色、及びその生命の生かされている間生起する所の心生色…

般若の独り言~Dammavamsaからの贈り物

Dammavamsaからの贈り物 今日の仏教は、仏陀の残された言語文字しか存在しない。 彼の教え・・・経文・・・は、いまだなお残されている。 この点に注意して頂きたい。 今日、仏教界は煩悩と汚染の浸食を受け、真正なる修行は、失われた。 仏教徒でありながら…

飛び入り翻訳~『24縁発趣論』1-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 貪・瞋・痴の三毒の中で、仏陀はただ貪と痴だけが輪廻の根本だと述べている。どうして、瞋恚が含まれないのか? 我々は、アナーガミ聖者を検証してみよう。アナーガミの意味は、「不還」である。彼は徹底的に瞋恚…

「『偽比丘』の見分け方」<菩提樹文庫>にUP

読者の皆様、おはようございます。 過日、私が翻訳してブログに載せました 「『偽比丘』の見分け方」 一文は、このほど校閲を終えて、<菩提樹文庫> (PDF正順)にて、掲載の運びとなりました。 近日中に公開される予定ですので、興味のある方は是非、ご閲…

飛び入り翻訳~『24縁発趣論』1-7

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 故に、我々は、己の習気を改善しようとするならば、先に、己自身の性格が、貪が重いのか、瞋が重いのか、痴が重いのか、を理解しなければならない。 その後において、我々は己自身の欠点に応じて、それを糺さなけ…

飛び入り翻訳~『24縁発趣論』1-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> この三つの不善根は、身・口・意における駆動力である。 我々は、三つの不善業は、身体を通してなされる事を知っている。 どの三つか? 殺生、偸盗、邪淫である。 それらは、何の影響を受けてなされるのか? それ…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』1-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 貪・瞋・痴は、不善根、または不善因縁と言う。というのも、それは己自身の害し、他人を害するが故に。それは悪業の根本である;無貪・無瞋・無痴は善根または美根と言う。というのも、それは己自身を利益し、他…