Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧

FDC資料「37道品ハンドブック」10-8 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 仏法における遺産には、二種類ある。 それぞれ、善の遺産と、悪の遺産である。 継承者にも、二種類ある。 善の継承者と、悪の継承者である…

FDC資料「37道品ハンドブック」10-7 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 私は、例を挙げて説明する。 《学人行道経》の中で、仏陀は以下のように言う: 「戒蘊の成就によって聖者となれ!」 (《相応部》・大品・…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』7-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 7、相互縁(Aññamaññapaccayo) 相互縁においては、一つひとつの縁法が、縁生法を支援していると同時に、同様の方式において、後者の支援を受けて、縁生法となりえるものがある。 これはちょうど三脚のようで、…

FDC資料「37道品ハンドブック」10-6 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「三学」、「七清浄道」、「37道品」は皆、「九世間法」(四道、四果と涅槃)に相通ずる修行の法門である為、「法随法行道」(dhammānudham…

FDC資料「37道品ハンドブック」10-5 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) この七種類の継承者の内、前の五種類「仏法における追随者または同事(=中間)」だけが「食財味遺産」の四種類の必要性を継承する事ができ…

FDC資料「37道品ハンドブック」10-4 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) ちょうど烈火に燃えている大海のように、雨の水滴は乾き、(+大海の水は)蒸発し尽くす;「身見」の巨大な国土は、この種の戒・定・慧をし…

FDC資料「37道品ハンドブック」10-3 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 最終的に涅槃に入るために、善業を修習する。 それはすなわち、涅槃を証得する前の段階における世間的な利益、(+輪廻による)再生を厭わ…

FDC資料「37道品ハンドブック」10-2 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「世間法の遺産」は、以下のように分類する事ができる: 一、輪廻(+する時)に依拠する遺産(Vaṭṭa nissita): 二、輪廻を離れる時に依…

FDC資料「37道品ハンドブック」10-1 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 第十章 仏法の遺産 今、私は「仏法の遺産」について、点検してみたいと思う。 「仏法の遺産」とは、仏法の伝承(=伝統)を受け入れる行為を…

般若の独り言~後ろ姿は時雨れて・・・

種田山頭火が八女で読んだ句に <後ろ姿のしぐれていくか> というのがありました。 これは愛犬オハナの後ろ姿。 右足上げて、用足し中。 後ろ姿、時雨れていないけど・・・可愛いです(笑)。 ちなみに、山頭火は、我が盆地にも、立ち寄ったみたいですよ。 …

FDC資料「37道品ハンドブック」9-1 Ledī Sayādaw著(100/120)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 第九章 如何にして37道品を修行するのか 仏法に出会った衆生は、先に「戒清浄」を安立させ、37道品を修習して、(+将来において)「預流聖…

FDC資料「37道品ハンドブック」8-10 ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 唯一、「道」または「果」に証入する刹那においてのみ、「八正道」は(+八つが)同時にこれらの聖者に(+その実体の全容が)顕示される。…

FDC資料「37道品ハンドブック」8-9 Ledī Sayādaw著

<daṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) ここにおいて、我々は、多くの生、多くの世を経て、衆生が「ソータパナ聖者」を証得する段階の、その刹那から始まって、最後に「無余涅槃」…

般若の独り言~勿忘草

↑ 勿忘草 先日、農家直販所に行きましたら、勿忘草の苗がありましたので、一苗80円で、買ってきました。 庭に植えましたら、活着してくれて、小さな花が咲き始めました(咲いた花を見て、吃驚。こんなに小さいのですね)。 小さくて可愛いですけど、雑草の…

FDC資料「37道品ハンドブック」8-8 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「正思惟が安立する時、正語も展開・成長する!」 もし、(+修行者が)世間的な病苦の中から脱離し、また、他人の楽しさ、自在を見る(=見…

FDC資料「37道品ハンドブック」8-7 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「正見預流」は「正見」の巨大な王国に安立し、四聖諦の光明を覚知・察知している。 「正見」を具備する王国は、「身見」の巨大な「随眠」…

FDC資料「37道品ハンドブック」8-6 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「戒清浄道」と「身念住」を安立させた後、この二種類の「慧蘊道」は、同時に「純粋観行」と「止観行」における「智慧」の機能・功能を具足…

FDC資料「37道品ハンドブック」8-5 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「定蘊道」に関しては、合計二種類の実践方式がある。 それぞれ、一つは、「純粋直観行」(saddha-vipassanā yānikaただ直観だけを修行する…

FDC資料「37道品ハンドブック」8-4 ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「慈心禅定」と関連する「思惟」は「無恚思惟」で、「悲心禅定」と関連するのは「無害思惟」で、その他の禅定と関係のある「思惟」は「出離…

FDC資料「37道品ハンドブック」8-3 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「正思惟」は「尋」の作用である。 というのも、「正思惟」は「智慧」の先駆であるので、「智慧」の範疇に入るが故に。 「思惟」には合計三…

FDC資料「37道品ハンドブック」8-2 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 故に、「37道品」の中の「戒清浄道」は、「遠離依止」「離貪依止」の戒律を、意味する。 その根拠とは: 「正語を修習し、遠離依止し、離貪…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』6-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 四、心、心所と心生色 例えば、我々の心の中に、嫌いな人・敵の事を思い浮かべると、瞋恚と恨みの心と、それに相応する心所の作用によって、顔色はすぐに黒くなってしまう。 嫌いな人を思う事(瞋恚の心とその心…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』6-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 三、名と色 五蘊の有情が結生する時、名法と色法は、相互に支持し合って、同時に生起する。 ここにおいて、縁法が名であれば、縁生法は、色である; 反対も又然りであり、もし、縁法が色であれば、縁生法は名であ…

FDC資料「37道品ハンドブック」8-1 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 第八章 八正道(Maggaṅga) 「道」(magga)の定義は以下の通り: 「これらの法は、『身見』などの障礙を取り除いて、涅槃に証入すること、…

FDC資料「37道品ハンドブック」7-6 Ledī Sayādaw著(90/120)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 上に述べた「七覚支」と関連する境地は、相互に協調・影響し合うもので、また、それぞれの機能・功能も、特別に明晰である。 普通のレベル…

FDC資料「37道品ハンドブック」7-5 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 故に、《法句経》では以下のように言う: 「比丘は、(+執着を)捨て去る事や、謙虚になる事を通して、彼の心は寂静になり、超人的な楽を…

FDC資料「37道品ハンドブック」7-4 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 修行者が「業処」の修行において、何らかの方法やシステムの欠如がある時、心身において、鍛錬という名の実践を、しなければならない; し…

FDC資料「37道品ハンドブック」7-3 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 内心の混乱、考えと思考・情緒が止まる時、修行している(+修行者の)心身には、平安、静けさの過程が顕現する。 これがいわゆる「軽安等…

FDC資料「37道品ハンドブック」7-2 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「七覚支」とは: 一、等覚支 二、択法等覚支 三、精進等覚支 四、喜等覚支 五、軽安等覚支 六、定等覚支 七、捨等覚支 である。 「念の内…

FDC資料「37道品ハンドブック」7-1 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 第七章 七覚支(Sambojjhaṅga) 「いわゆる『正覚』とは、すなわち、明確にかつ明晰に四聖諦を覚知・察知する事ができる事を言う。 いわゆ…