Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』24-4(翻訳終了)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 非福行とは、一切の不善業を言う。 身・口・意の三門は、10種類に分けることができる。すなわち: 身不善業は三種類ーー殺生、偸盗、邪淫である。 口(=語)不善業は四種類ーー妄語、離間語、粗悪語、雑猥語。 …

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』24-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 縁起の第一支は「無明縁行」である。 無明とは何か? 無明の特徴は、心の盲目性、または無智、智慧がない事、である; その作用は、迷い、惑う事である; 現起(現象)は、隠蔽、または目標の真実法を、徹底的に…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』24-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 縁起の法には、合計 12 支がある: 「無明縁行、行縁識、識縁名色、名色縁六入、六入縁触、触縁受、受縁愛、愛縁取、取縁有、有縁生、生縁老死愁悲苦憂悩、如此生起了整堆的苦悩」 縁起の法の法則とは: 「此生故…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』24-1(195/200)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 略説縁起第一支ーー無明縁行 今、我々は発趣論の各種の縁力を用いて、12 因縁を、説明したいと思う。 ここにおいて、我々は、縁起の第一支ーー「無明縁行」、すなわち「無明の縁によりて、行が生起する」という、…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』23-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ■諸縁の分類 (一)所縁縁 ◎所縁増上 ◎依処所縁ー前生依止 ◎所縁前生 ◎不相応 (二)親依止縁 ◎所縁増上 ◎依処所縁ーー前生依処 ◎所縁前生 ◎異刹那業 ◎不相応 ◎無間 ◎相続 ◎重複 ◎無有 ◎離去 (三)業縁 ◎異刹那…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』23-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 二、親依止縁 一個の心が生起して、滅した後、もう一つ別の心が、それに密着するようにして生起するようにするのが無間縁である; 後心の生起は、前心の滅に依存している為、これを無間親依止縁と言う。 故に、無…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』23-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 24縁グループ分類 24の縁は、四種類のグループに、分類することができる: (一)所縁縁。 (二)親依止縁。 (三)業縁。 (四)有縁。 一、所縁縁 たとえば、増上縁には二種類ある: 所縁増上縁と俱生増上縁で…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』22-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 22&23 無有縁と離去縁 (Natthipaccayo & Vigatapaccayo) 無有縁と離去縁は、同じ意味である。 それらは性質を同じくする一対であり、名前が異なる所の縁である。 無有縁は、名法が滅尽した後、その他の名法が機…

般若の独り言~『24縁発趣論』明日にて終了

『24縁発趣論』の翻訳が、残り8ページ程になり、明日、一日もあれば、終わると思います。 今回、『24縁発趣論』の翻訳をさせて頂いて、本当にありがたい事だと思い、著者であるスシラ・サヤレーに感謝申し上げる次第です(大正大蔵経に、生のまま載っている…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』21-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 【ここにおいて、縁法ーー色所縁、縁生法の支えーー(+によって)眼門心路過程心と心所は生起し、かつ縁生法と同時に存在する時間内において、縁生法の継続的な存在を支援する】 我々は、一つの例を挙げてみよう…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』21-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 心と心所は、有縁に属し、かつ、俱生縁、相互縁、依止縁でもある。 心が生起すると、心所もまた、同時に生起する。 故に、それらは同時に存在する力によって、相互に支え合うのである。 四大は俱生法であり、心と…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』21-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 21&24 有縁と不離去縁(Atthipaccayo&Avigatapaccayo) この二つの縁は、内包される意味は同じであるが、ただ、名称が異なる。 この縁においては、縁法が縁生法の生起を支えるか、または、(+縁法が)縁生法と…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』20-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 20 不相応縁(Vippayuttapaccayo) この縁において、その縁法は、現在色法を支える名法であるか、または、その縁法は、現在名法を支える色法である。 これは相応縁と正反対(+の現象)になる。 相応縁の中の縁法…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』19-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 19 相応縁(Sampayuttapaccayo) この縁は、縁法に属する所の名法が、縁生法に属する名法を、生起させるものである。 この縁法は名法であり、縁生法もまた名法である。 二者は、分離する事のできない、相応する所…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』18-11

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ■3、邪精進 正精進の反対。 正精進は、未だ生じない悪は生じせしめない。 邪精進は、未だ生じない悪を生じせしめる。 正精進は、已に生じた悪を断じ除く。 邪精進は、已に生じた悪を成長させる。 正精進は、未だ…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』18-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 二、四邪道 ■1、邪見 邪見には非常に多くの種類がある。 たとえば、因果を信じない(無因見)、断見、常見など等である。 通常、多くの人々は常見を持っている。 常見とは、この生死輪廻の中で、一つの永恒なる…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』18-9

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ■7、正念 正念の意味は、しっかりと覚えておく事、忘れない事であり、それ(正念)は、身、受、心、法を不断に観照する事によって、育成される。 身、受、心、法の四念処は、正念を育成する場所である。 四念処と…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』18-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (3)未だ生じない善を生じせしめる 我々には、非常に多くの、いまだ生起していない善法がある。 たとえば、五戒を受持していない人ならば、未だ生じない善法は、五戒であると言える; いまだ布施をした事のない…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』18-7(160/200)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (2)已に生じた悪は断じ除く もし、悪法が已に生起したのであるならば、正しい方法を運用して、取り除かねばならない。 たとえば、あなたは車を買ったとする。あなたは新車に対して、非常に執着している。ある…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』18-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ■6、正精進 正精進には四種類ある: (1)未生の悪は生じさせない (2)已生の悪は断じ除く (3)未生の善を生じさせる (4)已生の善は円満にする。 私は、この四種類の正精進について、詳細に解説したいと…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』18-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 無瞋思惟ーー敵意(瞋恨心)のない考え方。 この種の高尚な心理に到達する為に、我々は慈心について、深く思惟しなければならない。 常々、他人が身・心の苦痛から遠く離れる事を祈願し、他人の平和と楽しさを祈…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』18-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ■2、正思惟 正思惟には以下の三種類がある: (1)出離思惟 (2)無瞋思惟 (3)無害思惟。 出離思惟ーー我々は、感官の欲楽の禍について、深く考えて、出離思惟を発展させる必要がある以外に、また、一個の”…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』18-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第二、集諦ーー苦の起因。 苦の起因には三種類ある: 「欲愛、有愛、無有愛」 欲愛とは、五欲の享受に執着する事; 有愛とは、生命の存在に執着する事であり、これは(+上記より)更に強烈なる愛である; 衆生は…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』18-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 一、八正道 ■1、正見 八正道の内、最初に来るのは、正見である。 正見とは何か? 正見とは、徹底的に四聖諦を知ることである。 これは非常に重要な事柄である。 勿論、正見は、非常に多くのレベルに分けることが…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』18-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 18 道縁(Maggapaccayo) この縁の縁法は、縁生法をして、ある種の目的に到達する事ができるよう、その道となるものである。 道とはすなわち、ある種の目的地に通ずる、通路の事である。 道は、合計12種類あり、…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』17-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 上述の事から、禅は、心を所縁の境に、専注させる事であることが分かる。 通常、定を修する時に言う所の五禅支は、善に属する。 しかし、禅支はまた、不善である事もあり得る。 たとえば、我々が映画を見る時、尋…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』17-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (三)喜禅支とは、目標を非常に好む事を言う。 ただ目標を好む時にのみ、心は目標の上に、留まることができる。 (四)楽禅支は、目標の内に楽を感じる事を言う。 心が目標に専注する時、楽受が生じる。 楽受が…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』17-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 17 禅縁(Jhānapaccayo) この縁の縁法は、縁生法をして、緊密に目標を観察せしめるものである。 この縁法は七禅支であり、縁生法は、禅支と相応する所の心と心所である(二つの五識を除く)。 縁法である所の七…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』16-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ■5、慧根 慧根は、目標の無常・苦・無我を如実に知る(+能力の事)を言う。 それは、真正なる善知識を識別し、真なる法と偽の法の別を見極め、善と悪を区分する能力を、含む。 生命が不如意な事柄に遭遇する時、…

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』16-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ■2、精進根 精進根が生起する時、それは、その他の名色法をコントロールして、(+全体の)指導者となる。 仏陀の時代、ある一群の比丘たちが、森の中に入って修行していた。 彼らの規定は3つあって、それは、ど…