Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

禅病(七覚支で治す)

私が禅病を発症したのは、もう20年も前になります。。。 その頃、緬甸(ミャンマー)のパオ森林僧院で安般念の修行をして、心が一点に集中すると、必ず頬が痛くなり(鼻を挟んで頬の両側が痛い)、安般念が続けられなくなりました。。。 その頃私は、禅病…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(19ー1)(私家版)

■心による分類 善果報身識は唯一の楽具である。 不善果報身識は唯一の苦具である。。。。 「89心分類総覧表」参照の事。。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー21)(私家版)

ひとたび楽受が消失すると、苦受がそれにとって代わり、再び苦受が始まる。。。 修行とは、今・ここにおいて、痛苦から解脱する、抜け出すものであって、禅の修行を修めるその最中に(限ってのみ)、痛苦から抜け出す様にするものではない。。。 今・ここの…

春は駆け足

今年の春は駆け足ですね。 いつもより早く桜が咲いたと思ったら、辛夷(コブシ)の花はもう茶色に変色して山道に散っています。。。 般若精舎は日照が悪いので、遅霜の寒い朝は、未だ元気よく起きられないのですが、えびす丸(トイプ・元保護犬)と散歩に出…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー20)(私家版)

日常生活の中、十中八九、不如意な事柄に占められている。。。。。 皆様には上に述べた方法を是非とも、覚えておいて活用して頂きたい。。。 苦受を観ずるだけでなく、楽受も観じなければならない。。。 楽受が生起した時、我々は嬉しくなり、得意になって、…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー19)(私家版)

その当時、私は苦受の無常を観ずる事が出来ないだけでなく、この苦をば、我のものとみなし、私は苦しい、私は虐められたと考えて、苦の上に更に苦しみを重ねていた。。。 そんな中私は突然、シャーリプトラ尊者の言葉を思い出した: 「苦受は何故生起するの…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー18)(私家版)

もう大分前のことであるが、私が未だこの種の観を上手く実践出来ていなかった頃、ある時、大広間に大勢の聴衆が集まっている時に、一人の居士が私に対して、大きな声でもって、大変失礼な言動をしたことがある。。。 私は自分の自尊心(自尊心は我有りという…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー17)(私家版)

修行者は、どの様な感情が沸き起こったとしても、すぐに(心を)観ずることを実践しなければならない。。。 誰が私を打ったのか? 誰が私を罵ったのか? 誰が私を馬鹿にしたのか? を探求する必要はない。 その様にすれば、心中には必ず煩悩が生起する上に、…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー16)(私家版)

彼には苦受がないのか? 有る、彼にも苦受はある。 しかし、彼は(情況に応じて)間一発、(己の心を)観ずる作業を始める事が出来た。 (己に衝撃してきた)触によって生起した受は無常であると観ずる事ができた。。。 彼は前に向かって歩きながら、無常、…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー15)(私家版)

ある日、彼は、シヤーリプトラが托鉢の為に歩いているのをみて、シヤーリプトラの背後を、手で思い切り叩いた。。。 通常、人がこの様な状況に出合った時、 一体誰が私を殴るのか? 何故私を殴るのか? と疑問に思い、身を翻して後ろを確認し、今ここに生起…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー14)(私家版)

シヤーリプトラ尊者は、仏陀の二人の上席弟子の中の、智慧第一者(右側の上席弟子)であり、非常に忍耐力があり、忍辱の出来る尊者であって、その名声は千里先にも轟いていた。ある一人のバラモンが、シヤーリプトラの名声を聞いた後、「それは彼が未だ試練…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー13)(私家版)

上に述べた観法は、シーヤリプトラ尊者の用いた方法である。シーヤリプトラ尊者は《象跡喩経》(?香港では《大象足印経》)の中において、以下の様に言う:「音声の衝撃が耳に届いた時、一種の受が生起するが、我々は、この受がどの様にして生起したのかを…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー12)(私家版)

故に、上昇性煩悩が生じたその刹那に、どうにかしてそれを制止しなければならない。その内の方法の一つとして、それをば、無常、因縁の法、無我であると観ずる事である。。。。。。。 善の心所が生起する時、不善心は生起しない。例えば瞋恨は不善心所である…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー11)(私家版)

これが三番目の煩悩で「違反性煩悩」という。これは粗い煩悩である。。。 「上昇性煩悩」が意念まで上昇して意業が生じた時、それはその時点では、それほど重大なことではない。ただし、その時点て、それを取り除かないのであれば、相手に怒鳴り散らして、語…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー10)(私家版)

煩悩は、三種類の分類する事が出来る。。一番目は「潜在的煩悩」。。。 例えば、瞋恨。 侮りの言葉を聞かない時、潜在的煩悩は生起しない。 二番目は「上昇的煩悩」。ひとたび、侮りの言葉を聞くや否や、潜在していた煩悩は意念上に顕れる。。。 上昇的煩悩…

『業的運作』(パオ・セヤドー著/非売品)

パオ・セヤドーの著書がまた一冊、上梓されました。。。。。 題名は『業的運作』(中国語版)。 是非読んでみたいと思い、台湾の法友に、日本の私宛、一冊送って頂ける様、依頼しました。。。 先程、先ずは携帯で、PDF版をちらっと読んでみた所………… 原著から…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー9)(私家版)

苦受が生起する時、もしあなたが、苦受を無常として、因縁の法として、無我として観ずる事が出来ないのであれば、瞋恨は必ず生起する。。。 これは心の慣性的反応である。。。 我々は仏法を知っているのであるから、仏法を良く活用して、心の慣性的反応を断…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー8)(私家版)

ひとたび苦受に執着しなくなったならば、瞋恨は、受と共に生起することはない。というのも、瞋恨は苦受の中において潜伏するが故に。なお、貪愛は楽受の中において潜伏する。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー7)(私家版)

受は因縁の法である。それは「触」を因として生起する。 故に、受は、根本的に元々から、我、我のものではないのである。 この様に知るならば、我執を放下することができる。。。 受を我、我のものと思う時、我執は生じる。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー6)(私家版)

苦受の生起を正念でもって知る。。。 そして、智慧でもって苦受は触によって生起する事、触と受は共に無常であり、心所にすぎない事を、了知する。。。 音声は無常であり、生起した受もまた無常である。。。。。。 故に、触の無常、音声の無常、受の無常を観…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー5)(私家版)

2.「智慧」は、苦が何故生起したのかを、探求・追求する。「智慧」は七覚支の中の「択法覚支」に他ならない。苦受の生起は、耳に喜ばしくない所の音声が衝撃した時、触によって受が生じた為である。 凡夫には苦受があり、阿羅漢にも苦受があるが、両者の違…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー4)(私家版)

1.「正念」とは苦の生起を知る事である。「正念」とは覚知の事であり、生起した所の身、受、心、法を覚知するのである。。。 もし、苦受の生起を知らないのであるならば、当然、苦受の消失も知る事が出来ない。というのも受とは、刹那に生じ、刹那に滅する…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー3)(私家版)

このことは、修行するにおいて、非常に重要な事柄である。もし、あなたがこの点をしっかりと覚えておく事が出来たならば、修行において何か得る所が、必ずあるに違いない。修行するのは、我執を断つためであるが、では、それは如何にして断つのであるか? 罵…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー3)(私家版)

このことは、修行するにおいて、非常に重要な事柄である。もし、あなたがこの点をしっかりと覚えておくことができたならば、修行において何か得るところが、必ずあるに違いない。修行するのは、我執を断つためであり、それは如何にして断つのであるか?罵り…

翻訳(日→中)<実用アビダンマ>(18ー2)(私家版)

例えば、ある人があなたを三分間罵ったとしよう。その三分の後には、罵りの言葉は消失する。しかし、我々の苦受は引き継ぎ存在する。。。 因と縁が消失したのに、なぜ苦受は、なお存在するのか? というのも、我々はこの受を我だと(訳者注=私が感じている…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー1)(私家版)

■刹那から刹那への修行 ゴータマ仏陀は言う:「全ての受は苦である」。。。。。 というのも、全ての受は皆無常の圧迫を受けているが故に。。。。 多くの人々は、受を「私(私のもの)」と見做すのが好きである。そのために、受の無常を感受すること(感じ取るこ…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(17ー12)(私家版)

(5)捨受:特徴は、体験されたもの・ごとに関して、その中(立)性を重視すること。作用は相応の法を増長させることも減衰させることもない。現起は平静な状態。近因は喜心のないこと。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(17ー11)(私家版)

(4)憂受:特徴は、喜ばしくない所縁の体験。作用は、所縁の不愉快な体験。現起は心内において痛苦に遭遇すること。近因は、心所依処。

Punnya−nanda大長老の近況

最近、数名の方から、Punnya−nanda大長老に関するお問い合わせがありましたので、お知らせします。 Punnya−nanda大長老の近々の訪日はありません……少々落ち着いたとは言え、コロナ禍あり、ミャンマーの政変ありで、近々に日本にお招きするのは難しいかと思い…

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(17ー10)(私家版)

(3)悦受:純粋に、精神的な方面、心の悦受を指す。その特徴は、喜ばし所縁の体験。現起(現象)は、内心の愉悦の状態。近因は、軽安。