Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

出家>還暦おばんの仏教談義―176

最近、会う人毎に「私、来年出家します」と挨拶しています。

私は緬甸のパオ森林寺院所属の仏教徒ですが、今年の6月にパオ・セヤドーのお弟子さんで、ヤンゴン分院(=モービー寺院)の住職さんであるクムダ・セヤドー(=モービー・セヤドー)が来日された時、彼が私に「貴女もう仕事していないのなら、モービー寺院に永代居住したらどうですか?」「全面的に、生活の面倒はみますから」と出家の勧めを説いてくれました。私も<いよいよ機が熟したな>と思います。

それで、 Y盆地の人々にも私の考えが受け入れてもらえるかどうか、思い切って「来年出家説」を機会ある毎に述べている訳ですが、思いがけず、これがなかなか、皆様、好意的なのです。

一つは、私が年を取っていて、一時の情熱で出家しようとしているのではない事。一つは、私が宗教の勧誘とは距離を取っているので、私の出家は個人的行為に過ぎない事を理解してくれている事。また、現代の人々の生きる上での価値観が余りに頼りなく、ギスギスしているため、己の言動と行動に利益を求めない私の生き方に、多少の共鳴を得ているのかもしれません。

昔は、私も「お坊さんってすごく偉いんだ!」と思っていましたが、実は、それほどでもありません。出家者の中には、すごく立派な人もいれば、大したことない人もいる。日本とは異なって、戒律保持の出家者で構成されているとは言え、東南アジアのお寺もまた、世俗社会の反映に過ぎません。

ですから私も、普通の主婦よりはだいぶ仏教の修行と勉強をしている、一風変わったおばさんというノリで出家して、もし私(のレベル)でよければ法話もします。

私の法話を聞いて人が納得するかどうか、それは案外どうでもいいことで、聞いた人が決めればよい事なのですね(昔は、立派な法話をしなければ僧ではない、と思っていましたが、一人の人間にできる事に限界があるのも事実です。世界中の人間を納得させようと思う方が傲慢なのだと思います)。

そんな訳で、パオ森林寺院で出家して、日本と緬甸を行ったり来たりする、私の人生最後の望みが、来年には実現するかも、です。