2013-12-23 是誰庵日記>バマー もう20年以上前になりますが、私が仏教の修行の為に、タイのカンチャナブリの山奥にある森林寺院に通い始めた時の事。 バンコクからの長距離バスの都合で、カンチャナブリの街の中で一泊した事があります。その時、ホテルの中庭でお茶を入れてくれた青年が、「私はバマーから来た」と言いました。 私は英語が苦手だから、バマーってどこの国か分からなかったので、ただあいまいに笑っていたのだけれど、後になってバマーとは<ビルマ>の事だと気が付きました。 彼は、1988年軍事暴動の犠牲者、タイへ出国した難民だったのです。 その数日後、無事カンチャナブリの山奥の森林寺院についたある日、散歩の為に小さな川の岸辺を歩いていた所、前方から男性がやってきて「パルドン、マダム」と言いました。私は驚いて、彼が譲ってくれた丸木橋を渡り、お寺に戻って住職さんに「あれは誰か?」と尋ねました。 住職さんは「あの人はビルマから来たビルマ人で、ビルマでは学校の教師だった」「(1988年の暴動の為)タイの国境まで徒歩で逃げてきて、タイ側へは運転手に賄賂を渡して、非合法のバスでこちら側に逃げてきた」「今はお寺の客人だけれど、いずれ第三国へ出国する」と説明してくれました。 私は当時、ビルマの政治に疎かったし、ましてや後になって自分自身がビルマの僧院で修行するようになるとは思っていなかったけれど、<ビルマは今大変な事が起こっている>という事は肌で感じました。 今、図書館で借りた本、<アウンサンスーチー>を読んでいます。 建国の父アウンサン将軍がクーデターの凶弾に倒れて後、ビルマは混迷と貧困の中にある。その暗黒の中で一筋の光が見えたのは、イギリスから帰国して、断固として民衆の側に立って発言する、アウンサン将軍の娘~アウンサンスーチーの存在である。 この本を読むと、ビルマの民衆の、アウンサンスーチーさんへの愛と信頼がよく理解できる。アウンサンスーチーは、イギリスに残した夫と息子達と離れて(軍政権に引き裂かれて)、ビルマの光となった。 日本に難民として暮らすビルマ人の友人チョーさんやマウンさんたちが、アウンサンスーチーの名前を口に乗せる時、みな一様に嬉しそうにするその理由が、この本を読んで、ようやく分かったような気がする。 大部ですが、興味のある方は、是非ご一読ください。 追補:ビルマ人には苗字がありません。アウンサン将軍のアウンサンは名前で、アウンサンスーチーも名前です。アウンサンが苗字で、スーチーが名前と思っている人がいますが、誤解です。