2014-01-04 痛みの観察とその応用>還暦おばんの仏教談義―179 お正月早々縁起でもないので、去年の年末から始まった胃痛の話を控えていたけれど、もう1月4日なので、<日常に戻った>ということで、ちょっと書いてみます。 胃痛が一か月ほど続いたので、年末に、近所の総合病院 I 病院に行って検査した所、胃痛の原因は、軽い胃炎と軽い十二指腸潰瘍で、特に大きな問題はないとの事(他に大腸に問題がある事が発覚しましたが、これは後日、報告します)。 今は、二種類の胃薬を貰って飲んでいて、まぁまぁの状態が続いています。 と、そうはいっても、なぜか夜明け前に目が覚めると、決まって胃が痛い(胃が痛くて目が覚める訳ではない所が微妙~笑)。 その時、私はすばやく瞑想状態に入るように心がけています。実は、15年ほど前に緬甸のマハーシ式の瞑想を習った時、座禅中で足がしびれると「足、痛み」「痛み」と足の痛みを観察しながらラべリングする事を教えてもらいました。そうやって、足の痛いのを我慢しながらラべリングを続けていると、あら不思議、いつの間にか痛みがなくなっている、という事がよくありました。これは、最近の脳科学者によって「痛みに引きずられないで、冷静な心で痛みを観察している内、一定の時間が経つと、脳内にモルヒネ様物質が生じるから」と説明されているようです。 私は科学者でないので、本当の所は分かりませんが、今、私は自分の胃痛に対して、座禅中の足の痛みを観察する方法を応用して「おっ、胃が痛いぜよ」「痛み」「痛み」「お前、いつまで痛むつもり?」な~んて、胃に話しかけています。そのせいかどうか分からないですが、胃痛はほどなくおさまります(軽い胃炎なので、ちょっとだけ痛んで、すぐに収まっているだけ、かも知れませんが・・・笑)。 勿論、<「痛み」「痛み」とラべリングしている内に、胃炎と十二指腸潰瘍が跡形もなく完治した>なんて、そんな夢物語を信じている訳ではありませんが(たまに、癌の治療を諦めて、やけくそで世界旅行したら、癌が治った、なんて奇跡話があるのは知っています)、胃が痛いのをちょっと第三者的な立ち位置で<眺めている>というのは、これ、死ぬ時に応用できるのではないかな、と思っています。 話が飛躍しますが、私にとって「死」が怖いのは、死ぬ直前に息が詰まるようになって、もだえ苦しむ事です(一説によると、死ぬ事自体はあまり苦しくはなく、傍でみている人がそう思うだけらしいですが)。それを「息が詰まった」「息が詰まった」「今死にます」「死にます」って(冷静に)ラべリングできたらいいなぁと思っている訳です。 今回の胃痛は薬で治すけれど、死ぬ時はラべリング(自己への冷静な観察)で乗り越えたい。今、ちょっと予行演習中(笑)。