南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

65歳の仏教修行報告書(8)>身苦心不苦

身苦心不苦>は仏教用語で、この言葉自体は中国語です。原典はパーリ語サンスクリットかと思います。漢文の得意な方は「身苦しくとも心苦しからず」と下して読むでしょうか?

我々は身体が痛い、気分が悪くてつらい時、心までクサクサして、落ち込みます。腕が腫れて痛いのに、薬を飲んでも治らない時「え~~い!こんな腕なんかいらない!いっそ切リ落としてくれ!!」などと物騒な事を言ったり、思ったりします。

タイ人で、生徒に飛び込みの演技をしていて、プールの底に頭を打って、首の骨を折り、首から下が動かせなくなった、体操教師のカンポンさん。

彼は身体障碍者になった後、寝たきりのまま、手首だけは動かせるという、最後に残ったギリギリの機能を利用して、その動いている手首の感触に意識を集中させることによって、サティ(気づき)の心を育て、身体と心は一体であるようでいて、実は一体ではなく、一体でないようでいて、時には一体である、という事に気が付きました。

そして、ベッドの上で僧侶に指導してもらいながら、心の観察力を育て、強化し、最終的には<サティのある健康な心で、不健康な身体を観察する技>を習得しました。こうして彼の心は、身体の不健康性に引きずられたり、巻き込まれたりすることはなくなりました。

例えば、我が家にやってきた子犬が、ヨチヨチ歩いてあっちに行っておしっこをし、こっちに来てじゃれてみて、お母さんが恋しいと、ク~ンク~ンと鳴いてみて・・・、これ、何を見ても楽しいでよね。おしっこをしても、雑巾で拭けばいいし、じゃれたらヨシヨシと頭を撫でてあげればいいし、ク~ンク~ン鳴くのも家に慣れるまでの、2、3日の辛抱だということが分かっているから。要するに大人(飼い主)の心の余裕、という訳です。

一時は絶望の淵に立って、自殺をしようとしたカンポンさんも、心に真の大人としての余裕を取り戻した時、自分の動かない身体に、にっこりほほ笑む事ができるようになりました。

彼は今、車椅子に乗って大好きなバスケットボールを指導し、また、週一回、ラジオ局に出向いて、タイの人々に、仏陀のダンマについての法話を放送しています。

「身苦心不苦」の典型ですね。

サティ、心に気づきの力を育て、心が身体を観察している状態を保ちつつ、身体の不具合による身体的不快感に、心が巻き込まれないようにする。

これが仏陀の教えた、身体性の苦しみの中で心穏やかに生きる技~身苦心不苦~なのです。