2014-02-18 是誰庵闘病記>修行しにやってきた女の子 仏教 今日は、1月21日のブログで予告した<修行しにやってきた女の子>を書きます。 闘病記とはちょっと違いますが、時系列を考慮して、シリーズとして、闘病記に入れておきます。 私は現在65歳ですが、実は、まだ物心つかない2、3歳の時、大病をしたらしいです。 多分風邪から肺炎を併発したのだと思います。父は、当時のアメリカ進駐軍に掛け合って、ペニシリンを貰い受けて、私にこれを注射して、そのため、私の、風前のともしびだった幼い命、なんとか、一命を取り留めたようです。 父はよく「お前は小さい時身体が弱くて、金がかかって仕方なかった」とぼやいていました。ペニシリンが余りに高くて、ケチな父の脳裏から、この事が一時も離れなかったのかもしれません(苦笑)。 私としては好きで病気になる訳もなく、「幼いお前にお金がかかった」と何度も愚痴られても、返事のしようがありませんでした。 そして歳月は流れ、私が40歳くらいの時。その時私はフリーの通訳をやっていたのですが、有る時、台湾の職業訓練校の校長を団長にして訪日してきた視察団ご一行に、通訳として随行する事になりました(招待したのは日本の文部省でした)。 私は彼らと初対面の時、団長さん(校長先生)に握手しながらこう言いました「私がこの一週間通訳として随行しますので、視察の面でも、日常生活の面でも何か問題が起こりましたら、なんでもお申し付けください」。 しかし、その時はうっかりして、自分の名前を名乗るのを忘れてしまっていました。私はエンジニアの技術関連の通訳が好きなのですが、今回、校長を含む教師の一団という事で、ちょっと緊張していたのかも知れません。 台湾から来た校長先生は「どうぞよろしく」と私と握手しながら、しかし、次に驚くべき事を言ったのです。「貴女、なんでこんな所で通訳なんかやってるの?」「通訳で、そんな端した金を稼いで、何が嬉しいの?」 私は「えっ!?」と絶句してしまいました。その頃は、二人の子供がまだ小さく、教育費など色々物入りだったのです。私が何か仕事をしてお金を稼がなければ、家計は火の車でした。 通訳なら、日当は悪くないですし、フリーですから、仕事の合間は、自分の時間に使えます。私はこの仕事がとても気に入っていたのです。 私が絶句していると、彼は言葉をつづけました「貴女、子供の時、死にそうになって、でも自分の意志で、この世に戻ってきた」「それは通訳になるため?」「そうじゃないでしょ?」「貴女は仏教の教えを聞けばすぐに理解して吸収できる人だ」「どうして(出家して)仏道を極めない?」「とにかく、貴女がこの世に戻ってきたのは、通訳をやるためでなくて、仏道修行のため。このまま通訳で金を稼いでいると、やがて病気になりますよ」 私は「はい。分かりました。長い間、自分に合う仏教の先生を探して、今、ようやく、タイの森林寺院と縁ができたばかりです」「これからタイで、仏道の修行にはげみます」 校長「それは良かった。今すぐ通訳を辞めるのですよ。分かりましたね?!」 私はその後も通訳を続け(だって仏道修行にだって、お金、必要じゃないですか?~笑)、そして、彼の予言通り、しっかり大病しました、今回の腸閉塞を入れて二回も!です(苦笑)。 輪廻はある。私の前世はテーラワーダの比丘だった。これは自分でも分かっています。サマーディに入って確認したからです。 その後、彼の予言通り、49歳の時に一回目の大病をして、精神的にも下請け業としても、通訳業を継続できなくなったので、それ以来、仕事を断念して、仏道修行に専念しています(専念と言っても、あくまで、主婦の割には頑張っているレベルですが・・・)。 輪廻はある。だから人生は恐ろしい(一回きりの人生なら、幸福でも不幸でも、それはやがては止むのですから、それほど心配する事はないのです)。 仏陀は、光明の中に生まれた人は光明から光明へ向かうよう努力し、闇の中に生まれた人もまた、光明へ向かうように努力し、光明から闇へ向かったり、闇から闇に向かう生き方をしてはいけない、と<人施設論>の中で述べています。 闇とは、道理に合わない、不幸な生き方、人生の事です。 今年の始め、65歳で、<腸閉塞>という、二回目の大病を得ました。 さぁ、もう、ぐずぐずしている暇はない。 どのように生きるのかは、また、どのように死ぬのか、という問題でもあります。これからの毎日は、死へのレッスンです。ダライラマの「死に向かう智慧」を参考に、引き続き瞑想に打ち込みたいと思っています。 追補:ちなみに、この校長先生が、他人の前世を言い当てる事ができるのは、「道教峨眉山派で修行しているから」と、言っていました。ご自身の事は「私は道教の方に縁がある。仏教は難しいので、来世の宿題」とおっしゃっていました。