2014-02-19 是誰庵闘病記>オンマニペメフム~番外編 仏教 私は子供の頃から仏教が好きで、早い内から独学を始めていたけれど、観音様とか地蔵菩薩、はたまた〇〇如来とかの<信仰>が、なぜ仏教に属するのか、よく分からないでいました(で、結局は、四聖諦を主な教義として、<信仰性>の薄い南伝仏教~テーラワーダに、軸足を置くようになった訳なのですが・・・)。 しかし、観音様信仰は、実は、インドのコモリン岬に住むインド周縁の少数民族の信仰だと聞いた時から<インド周縁にあった宗教が、北部インドに興った仏教に取り込まれるほどなのだから、実は、割と整合性のある、いいものなのかも?>と思うようになりました。 もう一つは、大昔、福建省に実在したマソさん(女性)は、海難事故の予言をよくし、「どこそこの海域に、誰それが漂流しているから助けに行くように」とお告げする事度々で、彼女の言うとおりに捜索すると、その海域に、誰それさんが確かに漂流していて、助ける事ができたという事です。 そして、このマソさんが亡くなって後は、福建省と台湾で(台湾海峡を挟んで漁業をする漁民の間で)、マソ信仰が持ち上がり、この両省には、おびただしい数のマソ廟が林立している。この事から、私は観音様信仰も、元々は、コモリン岬の超能力者(個人的又は複合的)の神話化したものではないのか、と考察するようになり、以前のようには、頭から否定する事はなくなりました。 さて、先日、腸閉塞で入院・手術した時の事、手術を受けた日の夜、麻酔が解けた後、傷が痛む。アーナパーナサティ(息を観る瞑想)で凌ごうとして、それなりに成功する場合もあるけれど、痛みに引きずられて泣きたくなる時もある。 そんな時思い出したのが、千手観音。千の手を持つから、どんな種類の困難にも手を差し伸べられるスーパーマン(笑)。それでアーナパーナサティの威力が衰えた時は、観音様のマントラ~オンマニペメフムを唱え続けた。不思議と痛みが遠のく。 私が以前、まだ観音様信仰に懐疑的だった時の事、試しにオンマニペメフム(チベット語による観音様の真言、呪文)を唱えてみた事があったのだけれど、なぜか胸の辺りが暖かくなる。思うに、われわれは頭で理知的に物を考えすぎて、かえって混乱するのだけれど、この真言は、胸腺にあるホルモンを分泌させる波動(周波数)を持っていて、心をほっくり落ち着かせる働きがあるのではないか?と推測される。 最近は医療的な精密計器類が進化して、脳波を計れるようになってきたから、真言を唱えている時の、信仰者の脳波や胸腺のホルモン分泌などを計ってもらえると、科学的にも、何ほどか証明できるのではないか、と思っています。 困難な事態に遭遇して自分を落ち着かせたい時、自力でアーナパーナサティする限界を感じたら、他力のオンマニペメフムを唱えてみる。 これ、<試す価値あり> でした。