過日のブログに書きました通り、去年の年末から、2月中旬にかけて、腸閉塞の検査と手術で、てんやわんやの毎日でした。
今回の騒動の中で、 Y 盆地の掛りつけの I 病院の院長と、手術をしてくれた 大分大学附属病院の主治医には、私が<献体登録>している事、<尊厳死協会>に入っている事を伝えました。
I 病院の院長先生は「はい、分かりました」と、私の渡した献体登録カードと尊厳死協会会員証(ともにコピー)を受け取って、カルテの一番上にとめてくれました。
大学病院では「いや~、それは息子さんの許諾が・・・」とか何とか言いながら、やんわり拒否されたので、「いや、とにかく私のカルテに、私の希望を記載しておいてください」と強くお願いして、なんとか電子カルテの一番上に、上記の個人情報を入力してもらえました。
そんな訳で、私が日本で死亡した場合、<献体→大学による合同葬→お骨の返還>となる訳ですが、「お墓をどうしょうか?」と思い、樹木葬について調べてみた所、なんとこれが高い事、高い事(山口県の某寺院)。
取り寄せたパンフレットには<永代供養料として50万円以上頂きます>とあるではないですか、樹木葬で???
このお寺に問い合わせの電話をした時、先に住職さんが出て、次に女性(奥さん)が代わって出た。どうして住職が直接説明しないで、女性に代わるのかも疑問だけれど、お寺に妻という名の女性がいるのも、私には、不思議でならない。
<お寺>というのは、本来、出家者(出家者自身は、未婚者でも既婚者でも良いが、家から出て、寺に入り、戒律~梵行・斎戒を含む~を守り修行すると誓った者を、出家者という)の集まる場所ではなかったのか?
東南アジア、中国、台湾のお寺に妻帯する僧侶(夫と同居する尼僧も)はいない。
仏教が好きで、妻帯してもなお、伝法を行いたいなら、在家(在野?)の仏教指導者となって、仏教に疎い者を導けばよい。妻帯しながらお寺に住んで僧侶と名乗ってはいけない。妻帯したなら、もう出家とは言えず(そもそも、出家しながら妻帯なんて、言語矛盾でしょうに)、僧とは言えない。お寺に住む資格もないはず。
私がみるかぎり、上述のお寺の樹木葬も、ただ<石のお墓>を、時流に乗って<桜の木>に乗り換えただけ、これまでの、葬式仏教請負寺院のやっている事と、全く同じ。
私がいた緬甸のパオ森林寺院では、死者が出たら、材木を井桁に積み上げて火をつけた上に遺体を乗せて燃やし、衆目集める中、住職さんがお経を読んで、それで終わり。
お骨は、台所の脇にある共同墓地(大きな穴を掘って、上に簡単な碑を載せたもの)に放り込んで終わり、特別な供養などしない。
なぜなら、死者はすでに、今世の行いによって積み上げた自己の功徳に見合う来世へと転生しているのに、お墓を供養の対象にするなんて、ちょっと変。
永代供養料を取る樹木葬もダメだとすると・・・、私はやっぱり緬甸のお寺で、座禅しながら死ぬのが一番いいみたい。
そして、修行仲間に、「あいつ、なかなかできるヤツだったな」「遺骨は、ウチのお墓に放り込んでおけ」「材木代だけは、息子から貰っとけよ」と言われたい(笑)。
追補 : 山口県の某寺院の樹木葬のパンフレットをみて、当然のごとくに結婚し、家庭を持つ僧侶の存在、その為にお寺が営利の場になっている現状を批判しましたが、寡聞にして、日本のどこかに、良心的な樹木葬をする寺院もあるやも知れません。皆様も探してみて、あったら是非、教えてください。