Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵日記>戒名について(辛口談義)

今朝、ユーチューブで、原発反対派の小出裕章先生のお話を

聞いていたら、戒名の話が出てきた。

お父上が亡くなった時、菩提寺真言宗)に準備してあった

お墓に埋葬しようとした所、お寺側から「戒名を付けなければ

埋葬できない」と言われ、仕方なく多額のお布施をして戒名を

つけてもらい、ようやく埋葬したとの事(お父上の遺言は「戒名は

いらない」)。

その時のお寺の説明は、戒名とは死者と仏様(釈尊?)との仏縁を

つなぐのに必要だから、戒名の無い死者は受け入れられないと

かなんとか・・・、なんだかなぁ~~。

戒名って、私の知る所では以下の通り。

仏陀ご在世の時代、色々な階層の人々が仏陀を慕って出家した。

しかし、重度の階級社会のインドでは、名前で出身階級が分かって

しまう。王族は出家してもなお寺院内でいばっており、元奴隷だった

人は、これまた寺院内で、卑屈な態度でいる。

これを見かねた仏陀が「我が教団に入った者には、すでに世俗に

おけるのと同じ差別はない。名前が差別を増長しているのならば、

私が別に名前をつけてあげるから、出家した者はそれをホーリー

ネームとして使う事」。。

これが戒名の始まり。読んで字のごとく、戒を守ると誓って教団に

入った出家者に、仏陀がつけてあげた<あだ名>みたいなもの。

それを、修行もしなかった(と思われる)死者に、つけてあげるから

金(布施)をだせ???

鎖国時代は終わって、我々庶民も他の仏教国へ行って仏教を学ぶことが

できる時代になった。

こんな事をしている日本のお寺、滅びますから・・・。

追補:長野県の神宮寺の住職さんが「寺よ、変われ」という本を出して

いるが、内容は「お坊さん、もうちょっとお葬式上手にしないと、

注文がこなくなる」というもの。しかし、お寺と僧侶は葬式の為にある訳

ではない。人生には輪廻(カルマ)という重要かつ本質的な問題があり、

それをどのように解決するのか?というテーマに取り組むのが僧侶の

仕事。最近は、輪廻を認めない僧侶もいるから、そういう人はまた別に

僧侶であることの意義を、自ら模索して欲しい(もし輪廻がないなら、

人生の指針としては儒教の方が応用が利く。仏教と言うシチ面倒な

教えはいらない)。

輪廻はあると言うのも、ないと言うのも自由だが、お寺と僧侶は、

決して葬式のためにあるわけじゃない。