2014-05-15 是誰庵日記>戒名について(辛口談義) 仏教 今朝、ユーチューブで、原発反対派の小出裕章先生のお話を 聞いていたら、戒名の話が出てきた。 お父上が亡くなった時、菩提寺(真言宗)に準備してあった お墓に埋葬しようとした所、お寺側から「戒名を付けなければ 埋葬できない」と言われ、仕方なく多額のお布施をして戒名を つけてもらい、ようやく埋葬したとの事(お父上の遺言は「戒名は いらない」)。 その時のお寺の説明は、戒名とは死者と仏様(釈尊?)との仏縁を つなぐのに必要だから、戒名の無い死者は受け入れられないと かなんとか・・・、なんだかなぁ~~。 戒名って、私の知る所では以下の通り。 仏陀ご在世の時代、色々な階層の人々が仏陀を慕って出家した。 しかし、重度の階級社会のインドでは、名前で出身階級が分かって しまう。王族は出家してもなお寺院内でいばっており、元奴隷だった 人は、これまた寺院内で、卑屈な態度でいる。 これを見かねた仏陀が「我が教団に入った者には、すでに世俗に おけるのと同じ差別はない。名前が差別を増長しているのならば、 私が別に名前をつけてあげるから、出家した者はそれをホーリー ネームとして使う事」。。 これが戒名の始まり。読んで字のごとく、戒を守ると誓って教団に 入った出家者に、仏陀がつけてあげた<あだ名>みたいなもの。 それを、修行もしなかった(と思われる)死者に、つけてあげるから 金(布施)をだせ??? 鎖国時代は終わって、我々庶民も他の仏教国へ行って仏教を学ぶことが できる時代になった。 こんな事をしている日本のお寺、滅びますから・・・。 追補:長野県の神宮寺の住職さんが「寺よ、変われ」という本を出して いるが、内容は「お坊さん、もうちょっとお葬式上手にしないと、 注文がこなくなる」というもの。しかし、お寺と僧侶は葬式の為にある訳 ではない。人生には輪廻(カルマ)という重要かつ本質的な問題があり、 それをどのように解決するのか?というテーマに取り組むのが僧侶の 仕事。最近は、輪廻を認めない僧侶もいるから、そういう人はまた別に 僧侶であることの意義を、自ら模索して欲しい(もし輪廻がないなら、 人生の指針としては儒教の方が応用が利く。仏教と言うシチ面倒な 教えはいらない)。 輪廻はあると言うのも、ないと言うのも自由だが、お寺と僧侶は、 決して葬式のためにあるわけじゃない。