南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

是誰庵仏教談義>公案禅

私は仏教が好きで、子供の時から仏教書を読んでいました(父母は

教育に熱心ではなく、子供に本を買って与えるようなタイプでは

なかったのに、あれらの仏教書は、どこから来たのか知らん?)。

で、子供の時から禅宗が好きでしたが、どちらかと言うと、臨済宗より

曹洞宗の方好きでした。ただ、臨済宗の公案禅の本もよく読みました、

無門関とか碧巌録とか・・・。

その中で<隻手の音(を聴け)>と<趙州斬猫>が特に好き、

というか、一体何を意味しているのか、ずっと、ずっと、気になって

いました。

<隻手の音>は、10年前、パーリ語を学ぶために、台湾の尼寺に

滞在していた時、昼食か夕食かの食事時に「はっ」と気が付いた事

があり、「これが<隻手の音>かも?」とずっと考えていました。

私には仏教上の正式の師がいないので、ずっと誰にも私の結論で

OKなのかどうか、聞くことができませんでしたが(一人合点は

天狗になるだけで危ない)、最近、軽い変性意識(サマーディ)に

入っている時に「ああ、台湾の尼寺で得たあの結論で、OKだ」と

自分で自分にOKを出す事ができました。

<趙州斬猫>も、4年ほど前に、自分一人で通りましたが、その時は、

お腹を抱えて笑いました。<趙州斬猫>は本当によくできたお題だと

思います。

公案禅は師家からお題を頂戴して、座禅を通して答えを見つける

ものですが、<座禅をしながら考える>のではなくて、座禅で変性

意識に入ってする『体験』です。『体験』である以上、一旦体験した

ならば、もう絶対に(その答えに対して)迷う事はありません。

公案禅を<体験>しないで、頭で考えた答えを持っていくと、師家さんに

どやされますし、「これは通らないな」と、自分でも分かるものです。