2014-05-23 是誰庵仏教談義>公案禅 仏教 私は仏教が好きで、子供の時から仏教書を読んでいました(父母は 教育に熱心ではなく、子供に本を買って与えるようなタイプでは なかったのに、あれらの仏教書は、どこから来たのか知らん?)。 で、子供の時から禅宗が好きでしたが、どちらかと言うと、臨済宗より 曹洞宗の方が好きでした。ただ、臨済宗の公案禅の本もよく読みました、 無門関とか碧巌録とか・・・。 その中で<隻手の音(を聴け)>と<趙州斬猫>が特に好き、 というか、一体何を意味しているのか、ずっと、ずっと、気になって いました。 <隻手の音>は、10年前、パーリ語を学ぶために、台湾の尼寺に 滞在していた時、昼食か夕食かの食事時に「はっ」と気が付いた事 があり、「これが<隻手の音>かも?」とずっと考えていました。 私には仏教上の正式の師がいないので、ずっと誰にも私の結論で OKなのかどうか、聞くことができませんでしたが(一人合点は 天狗になるだけで危ない)、最近、軽い変性意識(サマーディ)に 入っている時に「ああ、台湾の尼寺で得たあの結論で、OKだ」と 自分で自分にOKを出す事ができました。 <趙州斬猫>も、4年ほど前に、自分一人で通りましたが、その時は、 お腹を抱えて笑いました。<趙州斬猫>は本当によくできたお題だと 思います。 公案禅は師家からお題を頂戴して、座禅を通して答えを見つける ものですが、<座禅をしながら考える>のではなくて、座禅で変性 意識に入ってする『体験』です。『体験』である以上、一旦体験した ならば、もう絶対に(その答えに対して)迷う事はありません。 公案禅を<体験>しないで、頭で考えた答えを持っていくと、師家さんに どやされますし、「これは通らないな」と、自分でも分かるものです。