2014-06-02 是誰庵仏教談義>梅子熟せり(後日完成→完成しました) 昨日は猛暑かと思うほど暑かったのに今日は雨。そろそろ梅雨 ですね。梅雨で思い出したのが<梅子熟せり>という禅の公案。 若い頃読んだ公案なので、思い出しながら、書いてみます。 細かい所で、勘違いがあったらお許しを。 昔々、中国のあるお寺に、Aという和尚さんがいて、AにはBという弟子 がいました。A和尚さんは<人に仏性有り>という考えを持ち、そのよ うな認識・悟りを得られるようにと修行を指導しました。ただ、Bは長年 お寺で修行しても一向に成果が見えず、仕方なく別のお寺に移っていき ました。移った先のお寺の所在地が梅県(中国では県は、市より小さい 町又は村)。 そこでBは修行に頑張り、ある時、悟りを得ました。かつての弟子Bが 悟ったと伝え聞いたA和尚は、もう一人の弟子Cを呼んで、「お前、 梅県に行ってBに『最近、A和尚は<仏性は無い>と宗旨替えをした』 と伝えてこい」と言います。 Cは、遠路はるばる梅県まで行ってBに会い、A和尚の伝言を伝えました。 Cから話を聞いたBは「仏性はあるといったらある!」「お前なんか とっとと帰れ!」と言って、Cを追い返しました。 CはA和尚の所に戻り、委細を報告すると、A和尚は「梅子熟了=梅子 (梅県にいるBの事)熟せり」と言ってほめたたえたという公案。 これは何を意味しているのでしょうか?勿論、自分で座禅修行して、 禅の指導者であるA和尚さんかまたはB弟子と同じ体験をすれば 納得がいくでしょう。あえてヒントを言えば<自立>。ただし、 20歳になって実家を出たとか、会社に就職して社会人になったとか、 結婚したとかの社会的自立ではなくて、精神の徹底的自立、即ち カイヴァリヤ(=独存)の事。仏陀が唯我独尊と言った独尊も同じ。