Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵仏教談義>見性成仏

仏教には<見性成仏>という言葉がある。

見性とは、<自己の本質に気が付く事>、即ち、自己に内在する仏性に

気が付く事だ、と定義する事ができると思う。

それで、中国の禅宗系の人々(日本も含む)は、<見性すれば即ち仏>

というのだけれど、これに待ったをかけた僧侶がいる。

台湾の釈従信である。彼は台湾にいながら大乗仏教を批判した人で、

著書の中で<大乗は何事においても表現が大げさで、大乗に言う所の、

見性すれば即仏など、ありえない><仏になるには見性した後も長い

年月の人格的研鑽が必要である>と述べている。

日本の僧侶で、確か夢窓国師だったと思うが、彼は見性した後、

京都の河川に行って河原乞食と一緒に生活していた。

この行為は、見性する事によって、欲やプライドなどがどれだけ薄れ

たかを自己検証しているのだと思われる(タイでは、悟るとインドへ

行って、最下層のカーストの人から食べ物を貰い、それを食する事が

できるかどうか、そのことを通して自己を試すそうである)。

人の本質は仏性であり、それは大慈大悲と智慧に満ちたものである

けれども、それに気が付かなければ、ないのと同然。

その上、たとえ見性したとて、仏陀への道はまだまだ遠い、という事

であろうか。人生は四苦八苦、いばらの道なのである。