是誰庵仏教談義>ものごとの捉え方(四正断)
小保方さんの問題、連日新聞やインターネットをにぎわしていま
すが・・・。近所に住むA女史と小保方さんの話になった時。
この方は仏教の学びもしている人ですが「小保方さんって
理研を浄化しに生まれてきた人だからあれでOKなの」。私「???」。
Aさんは何にでも現状肯定です。学校でいじめがあれば「いじめら
れる方が、どこまで耐えられるか試されているの」世界のどこかで
戦争があれば「善が勝か悪が勝つか試している(神様が見ている、
の意?)」。なんだかもっともらしくて、ついうなずいてしまい
そうになるのですが・・・。
では、小保方さんの、どんな手段を使っても有名なりたい、
評価されたいというゆがんだ欲望については肯定?
心に闇を抱えながら自分より弱い人間をいじめるのも肯定?
正義の戦争なんてあるのかないのかは横に置くとして、
戦争で人々が亡くなっていくのはOK??仏教徒でありながら、何でもOK、なんでも肯定というスタンスは、実は仏教でいう所の<(行き過ぎた)本覚思想>ですね。
過剰な欲望、ゆがんだ欲望、過度の憎しみや恐れは昇華されな
ければなりません。しかし、本覚思想では肯定してしまうのですね、
<ありのままがいい>などと言って。
世間のすべてがありのままでいい、のだったら、シッダールタが
王宮を抜け出して、6年の苦労を重ねて覚醒し、仏陀になる必要も、
その後に、教え(四聖諦・12縁起・37菩提分)を説くために、
長い旅などする必要もないはずです。
安易な現状肯定は何も言っていないのと同じで、その姿勢は、
社会に何ら寄与しない。
過剰な欲望、ゆがんだ欲望は否定されなければなりません、
それを仏教では<四正断の修習>といいます(37菩提分の内の4っつ)。
ものごとの捉え方は本当に難しい。私もいつも勉強中で、物事の
本質を高度に、正確に、精密にとらえて理解する<メタ意識>を心の中に
育てたいものだと、つねに思っているのです(が、一夕一朝では
できない、本当に難しいです)。