Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵仏教談義>独りで暮らすという事(傷ついた亀のように)

私は現在、 Y盆地の高台の一軒家に独りで住んでいます。

最近、一日中人としゃべらない事が多いです。

毎日市中の<温泉館>に行って水中運動をしますが、この時、顔見知りの人とは、近況報告がてら、いくらか話をしますし、謡曲の練習では、雑談もします。で、まぁ、本当の意味での完黙をしている訳ではないですが・・・。

私は、毀誉褒貶、貧富、損得、美醜などの二元論的価値観に興味がありません。しかし、世間は、二元論の束縛から逃げられないようで、美醜や損得などに関連する会話が多いです。

価値の基準を外界において、他者と自分を比べる・・・、それは妄念の一種であって、その罠に嵌れば、自分が身動きできなくなるだけなんですけれど・・・。

そんな訳で、最近はすっかり、<誰かとしゃべりたい>という欲求がなくなってしまいました(通訳をやっていたせいか、一旦話始めれば、いくらでも話しますが)。

もう遷化されましたが、韓国の法頂和尚さんを思い出します。彼は、自分が住職をしていたお寺の敷地問題に巻き込まれ、権利がどうのこうの、損得がどうのこうのと、人と争うのが嫌で、住職を辞して山奥に逃げました。しかし、彼を慕う人がよく訪ねてくるので、その度に、どんどん山の奥に逃げて行き、最後は山のどんづまりの山小屋のような庵に住んで、そこで亡くなりました。亡くなった時の遺言は「私の著書は絶版にして」でしたが、今では一冊一千万円の値がついているそうです。

一日中人と話さないと、心は軽いサマーディの状態(近行定)になり、サティ(気づき)の力が強くなります。戒定慧の三学の発動です。法頂和尚さんはそんな心理状態の中で、たくさんの良書を執筆されたのだと思います。

私も、独り住まいで人と話さない時間が増えるにつれ、仏陀が教えた<六門を閉じて心を慎む>大切さを、日々、実感するようになりました。

追補:タイでは、六門を閉じる事を、危機に会った亀が手足を引っ込める様子になぞらえて、「汝、傷ついた亀になれ」と言います。分かりやすいですね。