Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵仏教談義~9>誤解

私が緬甸で尼僧になって帰ってきて、謡曲の練習に出たら(戒律から言うと、こういう会に参加するのはNGなんですが、居住地域の方に帰国報告もしなければならないし・・・、一応、今はまだ、会員という事に)、ある人が「貴女が仏教に帰依したきっかけは何か?」と何度も何度も聞くのですね。

私は「小さい頃、5歳の頃ですが、父の持っていた蓄音機から<お釈迦様>という言葉が流れてきて(<お富さん>の曲ですね)、この時『大きくなったらお釈迦様の勉強をする!』って決めたのです」と答えました(18歳頃の青年期、2年間ほどマルクス主義を勉強した事がありますが、仏教が好き、という基本姿勢はブレた事がありません)。

彼女には分からないのです。生まれつき仏教が好きとか、宗教に親和性を持つ人がいるって事が・・・。

仏教は、病気の人、貧乏な人、人間関係に困難を感じる人など、不幸な人が学ぶ(信仰する)ものだと思っている。だから、私から「いや~、(昔)失恋したので」とか「子供が病気で」とか「孫が・・・」とかの、マイナスイメージ的な答えを引き出そう、引き出そうと、必死なんですね。

勿論、仏典には、子供を亡くした女性等、不幸な人々の話も出てきますが、アナータピンディカのような富豪や富豪の息子達の出家の話、何不自由のない王様の涅槃の話など、一杯出てきます。

仏教は、不幸な人の癒しの薬でもありますが、幸せな人の気付け薬でもあります。

日本人の仏教への偏見は、平安時代、護国仏教として中国から輸入した、というのが大きいかも知れません(日本が輸入したのは中国化した仏教で、ゴータマ仏陀の仏教ではありません)。

ゴータマ仏陀が説いた仏教は、個人の身心からの解放を願って説かれたものです。

それは、富んでいる者、貧しい者、幸せな者、不幸な者にかかわらず、人類全体への贈りものなのだと、私は思っています。