先日「魂の科学」という本を読んでいて、<行蘊>という言葉にぶつかった。
<行>はパーリ語でサンカーラ、サンスクリット語ではサンスカーラといい、輪廻の事だとは承知していたが、実は、インドの言葉は重義的で、一つの言葉に色々な意味が含まれているので要注意だ。
で、<行蘊(蘊は、塊の意)>。
その時私は、著者(スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ)の言わんとする事を「あ、なるほど~~!」と、一瞬で理解した。
10年前、台湾の田舎のお寺で十日間の瞑想会合宿に参加した時、その後半の頃に瞑想で得た(観た)体験と、スワミの説明が一枚の絵を見るように、同じだったから。
私たちが物を見たり、音を聞いたりした後、「それが何であるか?」を判断する時の、脳における、玉突き的な一連の動き又は働きの、ある段階の部分を指して<行>というがーーそれが<一連>として発現するから、一つの<塊>でもあり、故に<行>に<蘊>がついて<行蘊>。
般若心経の、色・受・想・行・識の<行>。
皆さん、お寺に行った時、僧侶について、般若心経を読んでいるけど、その意味を、本当に分かって読んでいる人どれくらいいるのかなぁ・・・。
2500年前、ゴータマ仏陀は、自分の教えに関心を持った者に「エーパッヒコー(来たりて、観よ)」と言って、瞑想の修行をするように勧めたそうです。
そうなんです!!
仏陀のダンマ(存在の真理)は、座禅・瞑想して<自分で観るもの>なのです。
観れば納得。議論は無用。
追補:<輪廻>も<行>も、時間性から見ると、本質的には同じ事柄であり、故に、インド人の言語習慣からすれば、どちらも<サン(ス)カーラ>の一言で済ます事ができるのですね。中国語では、<人生の輪廻>を別に<段生段死>ともいい、脳内の刹那輪廻は<行(蘊)>と訳した訳ですね。インド哲学、仏教は言葉が難し~い・・・(汗)。尚、エーパッヒコーはエーヒパッシコーかも知れません。タイのお寺で聞いたのですが、どっちだったか、ちょっと思い出せない。