Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

アチャン・チャー一日一話~12>「築堤」

#12-150606

タイの高僧アーチャン・チャー(92年遷化)の法話集(台湾伝承出版社)が手に入りました。P 24にこんな事が書いてあります。

 

《いわゆる“定”の訓練とは、心を安定させ、堅固にして修行に向かわせて、心の静けさをもたらすものである。通常の場合、心とは、揺れ動いて不安定で、コントロールの効かないものである。心は、感官に従って外に向かって散乱するが、それは水がどこへでも流れていくのに似ている。そうは言いつつ、人類は水をどうコントロールすればよいか分かっていて、それを人類にもっと役立てようとしてきた。人類は聡明で、彼らはどのようにして築堤するかを知っており、大きなダムと渠道を建設する――治水のために、また、水を十分に利用し、至る所、土地の低い所へ流れて行って水の力を浪費するようなことがないようにする。

同様にして、一つの、すでに“築堤”によってコントロールされた、常に訓練された心は、計りがたい利益をもたらす事ができる。ゴータマ仏陀は皆を指導してこう述べた「制御された心は、本当の楽しさをもたらす事ができる。故に、最大の利益の為に、あなたがたはしっかりと自分の心を訓練しなければならない!」。同じように、我々の回りでみる事の出来る――象、馬、水牛などの動物は、仕事をするために人に利用される前、みなそれぞれ訓練を受けなければならない。というより、訓練を受けた後初めて、彼らは人類に利益をもたらす事ができる。

同様の道理で、すでに“築堤”された心は、訓練を受けていない心より何倍もの福徳を有している。仏陀と彼の聖弟子たちと我々は同じように、同じ場所から出発する――訓練を経ていない心から。しかし、彼らはその後、我々の尊敬する対象になりえたわけであるから、我々も彼らの教えの中から多くの利益を得る事ができる。

まことに、心の訓練を受けて、解脱自在に到達した人が、世界全体にいかようの利益をもたらしたかを見てごらんなさい!

仕事の時でも、その他の状況の下でも、制御と訓練を受けた心は、よりよきものであると当時に、我々を支える設備のようなものであり、それがあれは、生活の中でバランスを保つ事ができ、仕事がはかどるものでる。また、それは理性を発展させはぐくみ、我々の行動を規範する。我々は、訓練されて適切になった心につき従えば、最後には、喜悦がさらに増大するのである》(「森林里的一棵樹」より)

 

「蟻の一穴」。“築堤”の言葉から連想される俚諺です。心を訓練して“定”が成長したなと思う事があっても、油断はできません。妙なところから妙なプライドが顔を出して、他人の一言で、瞋恚の炎が燃え上がってしまう事があります。ゴータマ仏陀の聖弟子になるなんて、夢のまた夢とは思いつつ、それでも歩いて行かねばなりません。少なくともせめて、粗いレベルの三毒(貪欲・瞋恚・蒙昧)からは自由になりたいものだと思っています。

                   (翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)