Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

アチャン・チャー一日一話~14、15>「深い穴」&「酒飲み」

タイの高僧アーチャン・チャー(92年遷化)の法話集(台湾伝承出版社)が手に入りました。P 26に、こんな事が書いてあります(二話)。

 

#14-150608

《多くの人々は、功徳を積むためといって、善き行いを実践するが、悪行を捨てようとはしない。これを “穴が深すぎる” と言う。

例えば、ここに一つの穴があって、穴の底に何か物があるとして、(それをつかもうと)人が穴の底に手を伸ばし、底まで手が届かない時、彼は言う「穴が深すぎる」と。千人万人の人がいて、彼らが穴の中に手を伸ばして手が届かない時、彼らは全員こう言うでしょう「この穴は深すぎる」と。しかし、これまで一度も、自分の腕が短すぎたからだと言う人を見たことがない!我々は、自らの身を顧みて、一歩下がって自己を反省しなければならない。穴が深すぎると恨み言をいうのではなく、振り返って自分の腕を見てみるが良い。もしあなたがこの事の次第を透徹できるなら、あなたの精神性はさらに深まり、かつ(人生に)楽しさを見つける事ができるでしょう》(「森林里的一棵樹」より)

 

トラブルが起きると、それを人のせいにするのは簡単です。しかし、それでは永遠に問題は解決しない。客観的に見て、たとえ相手が悪かったにしろ、それよりも尚、自分の何が悪かったのだろうかと、自分の愚かを認め反省出来る人、その人は、すでに智慧と安らぎのそばにいます(最近、この事が少し分かるようになりました。相手の落ち度を指摘するだけでは、問題は解決しない。相手の手に落ちた自分の無知蒙昧、怜悧な智慧の欠如をこそ反省すべし、なんですね)。

 

#15-150608

《感官に執着する人は、まだ肝臓が破壊されていない大酒飲みのようだ。いったいどれだけ飲んだら、満足するのだろうか。彼は酒におぼれ、節度を知らぬほど飲み続け、中毒になり、最後になって、病気になって苦しむ》

(「森林里的一棵樹」より)

 

仏陀の教えーー感官に執着してはいけない・・・これが、凡夫には分かりにくい。おいしい食事、楽しい音楽、仕立ての良い服、わくわくする恋愛・・・それの何が悪いのか?

いつかは死なねばならない我々は、感官の制御を学んで心安らかに生きるのがいいのか、放埓に、好きに生きるのがいいのか。自分の行く道は、自分で選ぶより他はない。

                    (翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)