Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

アチャン・チャー一日一話~16>「空」

#16-150609

タイの高僧アーチャン・チャー(92年遷化)の法話集(台湾伝承出版社)が手に入りました。P 27に、こんな事が書いてあります。

 

《人々は、涅槃へ向かう事を希望します(訳者注)。しかし、あなたが、一たび、涅槃は空っぽで何もないと言うと、心には即座に、次の思いが浮かびます。実際そこには何もなく、空っぽ・・・、それで、この建物の屋根と床を見てみます。屋根は“有”を表していて、床も“有”を表しています。あなたは屋根の上に立つ事もできるし、床の上に立つ事もできます。しかし、屋根と床の間の空間に立つ事はできません。“有”のない所、それが“空”のある所。はっきり言えば、涅槃とは“空”なのです。人々はこの事を聞くと、後ずさりして、そこへ行きたくないと言います。彼らは、子供や親せきに会えなくなるのを恐れるのです。

これが、なぜ我々が、在家の人々に対して長寿や美貌、健康や幸福を祝福すると、彼らは大いに喜び、一旦あなたが“放下”とか“空”とかを話し始めると、とたんに興味を失うのか、という理由です。しかし、あなたは、外見が美しく、体力が充実していて、非常に幸福な老人を見た事がありますか?ないでしょう!それなのに、我々は彼らの長寿や美貌、健康や幸福を祝福するのです。彼らは祝福される事を非常に好みます。彼らは“有”に執着し、生死輪廻に執着しているのです。彼らは屋根の上や床の上に立つ事を好み、その中間の“空”に立ちたいと思う人はとても少ないのです》(「森林里的一棵樹」より)

 

私は毎日、入浴を兼ねて、市営の温泉施設に行って、水中運動をしています。そこで出会う人、特に女性ですが、合言葉がPPK、ピンピンコロリです。勿論私も、水中運動をする目的は、なるべく健康でいたいからですが、PPKが人生の最終目標ではありません。健康な体をもって、いったい何がしたいのか?が問題です。いくら健康に注意していても、病む時は病みます。病んでも心が安らかでいられる事の方が、ただただ健康でいる事よりも大事です。PPKが迷信や信仰にならないように・・・、水中運動をしながら、いつもそう思っています。

 

訳者注:タイや緬甸(ミャンマー)等のテラワーダ(南伝仏教)仏教国では、涅槃が当たり前のように認知されています。残念ながら、日本では日常生活の中で涅槃が話題になる事はありません。ま、言えば ”オタク”と揶揄されるので、いい事は何もありません(笑)。

                     (翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)