Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

<パオ・セヤドー問答集~009>問答(二)問2-2>中段

#009-150703

仏陀は、三種類の人に観禅(vipassanā)を行う五蘊の法門を教えました。それは智慧の鋭い人、名法の観智についてあまり理解していない人、簡略な方法で観禅(vipassanā)を修行しようとする人、の三種類です。

私は今から二つ目の問題に答えます。上座部の仏法に基づけば、二種類の修行の法門(kammaṭṭhāna 業処)があります。すなわち:応用業処(pārihāriya- kammaṭṭhāna)と一切処業処(sabbatthaka- kammaṭṭhāna)です。応用業処とは、一人一人の修行者にとって、観禅(vipassanā)の禅定の基礎となる業処の事です。その人は、常にこの業処を修行しなければなりません。一切処業処とは、すべての修行者が修行しなければならない業処で、又の名を四護衛禅といいます。すなわち慈心観(metṭā-bhāvanā)、仏随念(Buddhānussati)、死随念(maraṇānussati)と不浄観(asbha)です。ですから、修行者は安般念をもって自己の応用業処とする事ができますが、しかし彼はまた慈心観、仏随念、死随念と不浄観も修行しなければなりません。これが正統的な方式です。

慈心観を修行してジャーナの境地に至ろうとする時、修行者は先に白遍の修行で第四禅に到達できている事が望ましい。《慈愛経Mettā Sutta》を例にとると、経の中で500人の比丘について述べられていますが、彼らは十遍と八定(samāpatti)に精通した修行者でした。彼らも四護衛禅を修行し、かつ観禅(vipassanā)の修行においては、生滅随観智(udayabbaya-ñāṇa)の境地にまで到達していました。彼らが宿泊処にした場所の樹神が煩く思って、形を変えて出てきて彼らを脅かしたので、比丘たちは戻って仏陀に会いました。その時仏陀は彼らに《慈愛経》を教え、修行の法門としましたが、これはまた、守護の誦文(paritta)でもありました。

《慈愛経》の中には、11種類の慈心観を修行する方法が列挙されていますが、これはすでに慈心禅(mettā-jhāna)を成就した人で、かつ異なる類型の人との間の差異や隔たりを突破した修行者に対して説いたものです。これらの方法を修行する時、心は「Sukhino va khemino hontu、sabbasattā bhavantu sukhitattā」――「一切の衆生が楽しく安穏でありますように・・・」と憶念し、かつその修行は第三禅まで到達する必要があります。あの500人の比丘は、すでに十遍に精通していたので、彼らにとっては、慈心禅第三禅に到達するのは非常に簡単だったのです。

《増支部Aṅguttara Nikāya》の中で仏陀は開示しています;四種類の色遍の中で、白遍が最も良い、と。白遍は修行者の心を澄み切らせ、明るくします。静かな心は高尚で力があります。もし修行者が清らかで明るく、煩悩のない心で慈心観を修行するならば、通常、一度の静坐において、慈心禅を成就する事ができます。故に、もし慈心観を修行する前に、修行者が先に白遍第四禅に入り、出定の後に慈心観を修行するならば、彼は非常に簡単に慈心観を成就する事ができます。というのも、その時の彼の心は澄み切っていて、明るく、一つも煩悩がないという事の故に。

(以下続く)

<禅修問題与解答(パオ禅師等講述)>中国語版より訳出。  

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:15年1月緬甸(ミャンマー)から日本への帰路の途中、台湾に寄りました。パオ・セヤドーの著作を頂けると聞き、新北市の寺院を訪問して上記<禅修問題与解答(パオ禅師等講述)>(中国語版)を入手しました。<パオ・セヤドー問答集(仮題)>として、毎日又は隔日、一遍ずつ翻訳して掲載する予定です(出張時除く)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、パオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。