Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー問答集~#025>問答(四)問4-1(全文)

#025-150715

問4-1 菩薩弥勒菩薩を含むArimetteyya bodhisatta)は凡夫(puthujjana)ですか?もし、弥勒菩薩が我々と同じ凡夫であるならば、彼が弥勒仏になる為に、人間社会に降誕してきた時、彼の成仏(仏陀に成る事)の状況は、我々とどのような違いがありますか?

答4-1 それは彼のハラミツがすでに成熟しているが故にですが、ちょうど我々の釈迦牟尼仏が成仏する前は、悉達多(Siddhattha)太子菩薩であったのと同じです。彼らはハラミツを積む為に、すでに多くの生、多くの劫を費やして修行しました。例えば、布施ハラミツ(dāna-pāramī)、持戒ハラミツ(sīla-pāramī)、慈心ハラミツ(mettā-pāramī)と般若ハラミツ(Pañña-pāramī)等です。彼らには未だ感官による欲楽の享受がありますが、しかし、成熟したハラミツは、彼らをして世間の欲楽を放棄させるように仕向けます。それぞれの菩薩は、その最後の一生の中で、皆結婚しますし、息子を生みます。これは自然の法則です。私は今、弥勒菩薩の妻と子の名前を思い出せませんが、上座部の三蔵によると、仏陀を含むすべての阿羅漢は般涅槃4の後、もう再び生まれてくる事はありません。般涅槃は生死の輪廻の終点であり、彼らはもうこの世間には戻ってこないのです。

我々の釈迦牟尼菩薩を例にとると、彼の最後の一生の中で、証悟する前は、彼はまだ一人の凡夫でした。どうしてか?悉達多太子が16歳の時、ヤショーダラー(Yasodharā)妃と結婚して、息子を一人生みましたが、彼は13年間以上の感官の欲楽を享受しました。勿論、左に100人の天女、右に500人の天女という訳ではありませんでしたが、しかし、彼は200万人の妃に囲まれていました。これはkāmasukhallikanuyogo:感官の欲楽の享受、又は欲楽への耽溺です。

彼はこれらの欲楽を放棄した後、ウルヴェラの森(Uruvela forest)の中で6年間の苦行を行いました。その後、彼は、無益な苦行を放棄して、中道に改め、ほどなく証悟して仏陀になりました。成仏した後、第一回目の説法で話された《転法輪経 Dhammacakkapavattana Sutta》の中で、仏陀は以下のように宣言します「・・・kāmesu kāmasukhallikanuyogo hīno、gammo、puthujjaniko、anariyo、anatthasaṁhito」――「・・・欲楽の享受は最低(hīno)であり、村人の行為(gammo)であり、凡夫の行為(puthujjaniko)であり、聖者6の行為(anariyo)ではなく、道、果及び涅槃の利益を生じる事ができない(anatthasaṁhito)」と。

このように、第一回目の説法の中で、仏陀は、欲楽を享受するすべての人は凡夫である、と宣言しました。彼がまだ菩薩だった時、彼も欲楽を享受しました。すなわち:王宮の中で、ヤショーダラと一緒に過ごした生活の事です。その時は、彼も凡夫でした。というのも、欲楽の享受は、凡夫の行為であるからです。

特別に我々の菩薩がそうであったという訳ではなく、どの菩薩も皆同じです。この時間、ここに座られている多くの菩薩方も、この事を仔細に考慮してみて下さい。ここに座っている菩薩は凡夫でしょうか、それとも聖者でしょうか?私はあなた方が、すでに答えを知っていると思います。(完)

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます)。