Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~22>小さな火葬式

先日、インターネットを見ていたら「小さなお葬式」という見出しが目に付いた。

早速、内容を読んでみたら、小さな火葬式から、ほどほどのお葬式を、追加料金なしで請け負うweb上の仲介会社だった(一時、直葬という言葉が流行ったけれど、何の事か分かり難いので、小さな火葬式って、この会社、ネーミングも上手いなぁと思いました)。

これまでのお葬式は、遺族が一定の料金で打ち合わせしたのに、終わってみれば、追加料金が同じくらい請求される事があるらしく、最近はそんな不安を取り除く

<追加料金なしの小さなお葬式>

が大流行り(イオンなんかもやっている)。

私自身は、ずいぶん前に献体を申し込んであるので、お葬式の心配はないのだけれど(大学医学部による合同葬になるので)、しかし、何かの原因で<献体不可>なんて事になったら・・・と思い、この会社の資料を取り寄せてみた。

私は直葬、すなわち、小さなな火葬式が希望、通夜も告別式もいらないなぁ(遺体を一晩おいておき、目が覚めないようなら、火葬場に直行してくれれば、それでいい)。

インドはベナレスに旅行して、川岸で死者を焼くガトゥー(だったかな)を見たけれど、火葬自体には出会わなかった。

緬甸(ミャンマー)はモーラミャインのパオ森林寺院で修行していた時に、老比丘が亡くなって、その葬式(火葬)に立ち会ったけれど、至極簡単・・・井桁に組んだ材木の上に遺体を載せてガソリン撒いてボーボー燃やし、それを私たちが取り囲んで見ていて、住職さんがお経を読んで、終わり。お骨は、骨壺もなく、バラバラと、煉瓦で囲った共同墓地に放り込んんで、終わり。

だって、輪廻している身としては、遺体はただの残り物で・・・。

A 県で僧侶をしている知人が「最近の人は葬式をやらない。けしからん」と怒っていたけれど、輪廻を認める僧侶が、葬式は盛大にした方がいいっていう発想が、私には分からない。

人間は生きている内に愛し、慈しみ合って暮らし、亡くなれば、自分の心の中に生きている(亡くなった当の本人は、自分の業に従って、もう何かになって、次の生を生きているのだから・・・)。それでいいではないですか?