Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー問答集~#180~188>問答(13)問13-11~13-19。9篇。

☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。

#180-150911

問13-11 菩薩乗思想の起源はどこからきていますか?なぜこの思想が広まったのですか?

答13-11 仏陀が成道して二年の後、彼は祖国カピラヴァットゥに帰りました。仏陀がカピラヴァットゥに到着した時、釈迦族の皇族達は盛大な式典をして仏陀と比丘達を歓迎し、事前に準備しておいたニグローダーラーマ園(Nigrodhārāma monastery)にお連れしました。ニグローダーラーマ園に到着した後、仏陀は、自分の為に特別に用意された座席に座り、二万人の阿羅漢に囲まれながら、沈黙していました。というのも、高貴な出身である事を理由に驕慢であった釈迦皇族と貴族たちは心の中でこう思いました:「悉達多太子は、私より若い。彼は我々の姪か甥の世代ではないか」と。驕慢で尊大な心理が災いして、彼らは若い人たちを唆しました。「あなた方が仏陀に礼拝しなさい。我々は後ろにいますから」と。

仏陀は、高貴な出身でるために尊大であった釈迦皇族の心理を知っていたので、彼は双神変を顕現して、彼らの高慢な心を降伏しました。仏陀の身体から水と火が交互に現れる双神変は、真っ赤な光が光る非常に珍しい奇観であり、釈迦皇族達は、この光景に恐れをなし、仏陀を敬し仰う心で、讃嘆する言葉を述べました。

この時、王舎城(Rãjagaha)霊鷲山(Gijjhakuta Hill)に住んでいたシャーリプトラ尊者は、彼の天眼通でもって、カピラヴァットゥでの出来事すべてを知り、思いました:「私は今、仏陀の所へ行って礼拝し、仏陀に彼の過去世で実践した菩薩道と円満成就した波羅蜜について話して頂かねばならない」と。こうして、彼は即刻、常日頃彼と一緒に行動を共にしている 500名の阿羅漢を招集して、彼らに言いました:「行きましょう。我々は、世尊に会いに行きましょう。そして、仏陀に過去の諸仏の話をして頂きましょう」と。このように宣言してから、彼らは風雷より速い神足通でもって、一瞬にして仏陀の前に来ました。そして、礼拝が終わると、先ほどの事柄を願い出ました。

シャーリプトラ尊者の願いに応じて、仏陀は≪仏種姓経 Buddhavaṁsa≫を述べましたが、この経は、燃灯仏(Dīpaṅkara Buddha)の時代からヴェッサンタラ王(Vessantara)の時代までの、長い年月に亘る菩薩修行の物語です。このように、菩薩乗の思想は仏陀から出ています。

仏陀の話の中から、我々は、彼がこの経を述べた理由が分かります。仏陀は言いました:「≪仏種姓経≫をお聞きなさい。この経は、あなた方に歓喜と愉悦をもたらし、憂いの棘を取り除き、人界の楽、天界の楽及び涅槃の楽という三種類の楽をもたらします。聞いた後で、この経が示す道を実践すれば、驕慢を取り除く事ができ、憂いを捨て、輪廻を解脱し、一切の苦を滅する事ができます」と。

#181-150911

問13-12 禅師、女性に生まれ、出家して修行しましたが、今生で解脱を成就できなかった場合、どのようにして「転女成男」し、来世また引き続き修行する事ができますか?慈悲の法話をお願いします。

答13-12 まさに仏陀が教えたように、一人の人間の願望は、自らの清浄なる持戒によって実現します。ですから、女性も清浄なる持戒によって、男性に転生する事ができます。もし、ジャーナを証する事ができ、かつ臨終の時まで維持できるならば、性根を持たないで、しかし男相を現す梵天人に生まれ変わる事ができます。

もし彼女が止観と観禅(vipassanā)の修行をして、初果須陀洹を証悟する事ができたならば、ゴーピカ姫(Princess Gopika)のようになる事ができます。彼女は初果を証した後、男性に生まれたいという願を発し、それを実現させました。

#182-150911

問13-13 上座部仏教仏陀観では、仏陀は「万能・全能」ですか?それとも、彼は、一人の、覚醒した人ですか?

答13-13 仏陀は万能の人ではありません。彼は一人の覚醒した人です。《法句経 Dhammapada》第276偈の中で、仏陀はこのように開示しています:

“Tumhehi kiccaṁ ātappaṁ;

Akkhātāro Tathāgatā。

Paṭipannā pamokkhant。

Jhāyino Mārabandhanā。”

「あなた方は、自分で努力しなければなりません。諸仏は導師に過ぎません。専注する修行者は、魔王のくびかせから抜け出して、解脱に至る事ができます」

仏陀は人類と天神の最も良き導師ですが、万能の救世主ではありません。彼は我々に涅槃への道を指し示しますが、しかし、彼が我々に替わって、歩いてくれるわけではなりません。彼は業果がどのような作用を生じさせるかを知っていますが、彼は業果に反する事はできません。もし彼が万能であれば、彼は自分で動かす事のできない石を(神通力で?=訳者)作り出す事ができたのではないでしょうか?この事を考えて下さい。それに、もし仏陀が万能であれば、彼には慈悲が足りない事になります。というのも、彼は神通力を使って、すべての衆生を仏にはしなかったからです。

#183-150911

問13-14 菩薩道を修したい人は、どのようにすれば行捨智まで証して、道智を証しないようにできますか?

答13-14 もし、彼がすでに授記を受けた菩薩であれば、彼が仏陀に成る最後の生の時以外においては、彼は如何に修行に精進しても、いかなる道果も証する事ができません。いまだ授記を受けていない人については、もし彼に仏陀になりたいという強烈な願望がある場合、彼の観智は、行捨智(saṅkhārupekkhā-ñāṇa)まで到達した時に、自動的にそこで止まります(それ以上、上に向かって証悟する事はありません)。

#184-150911

問13-15 南伝経典の内、世尊が弥勒菩薩に対して、仏陀になるという授記を与えた以外、他の菩薩のためにも授記をしたという事はありますか?

答13-15 スリランカで書かれた《未来種姓 Anāgatavaṁsa》の中に、10名の人が仏陀から授記を得たと書かれています。しかし、この本は、後世に書かれたもので、パーリ聖典には属しません。

#185-150911

問13-16 順序よくパーリ語を学ぶにはどうしたらいいですか?パーリ語の特色は何ですか?

答13-16 もし、徹底的に南伝三蔵またはパーリ聖典を研究したいのであれば、最も良いのは、先にパーリ語を学び、その後に直接パーリ語で三蔵を研究する事です。というのも、まだまだ多くのパーリ聖典には、他の言語に翻訳されていないものがあるからです。また、パーリ語から訳されたものの中に、概念・意味が変化してしまっているものがあるからです。

異なる国々において、パーリ語文法に、いくらかの差異があります。とはいえ、あなたは、何かの文字を用いて保存された一種類のパーリ語を選ぶ事ができます・・・たとえばスリランカシンハラ文字パーリ語または緬甸文字パーリ語等です。それ以外に、あなたは博学の導師の指導の下で、これらの聖典を研究するようにして下さい。パーリ三蔵を研究する時、同時に註釈と復註も研究して下さい。というのも、註釈と復註を研究しなければ、パーリ三蔵を徹底的に理解する事はできないからです。

三蔵には、律蔵、経蔵と論蔵があります。三蔵の中においては、比丘、比丘尼の方々は、律蔵を徹底的に研究する必要があります。経蔵は、多くの経を含み、我々がどのように修行すれば阿羅漢果を証悟する事が出来るのかという、方法が書かれています。色業処、名業処および 12因縁まで修行できた人は、《アビダンマ論》の基礎知識を必要とされます。基礎知識がなければ、これらの業処を徹底的に修行する事はできません。

#186-150911

問13-17 初果須陀洹、二果斯陀含、三果阿那含、四果阿羅漢は、それぞれどのような煩悩を断じていますか?禅師、それぞれ説明して頂くか、どの経論に述べられているか、根拠を示して頂けますか?

答13-17 須陀洹は身見、疑及び戒禁取見を断じています。ある種の経と《アビダンマ論》においては、嫉妬と吝嗇も須陀洹道において断ぜられている、と書かれています。斯陀含道は感官の欲望と瞋恚が軽減します。阿那含道では感官の欲望と瞋恚が断ぜられます。阿羅漢道では、残りの五種類の高次元の結(五上分結)が取り除けられます。すなわち、色界欲、無色界欲、驕慢、掉挙と無明です。

#187-150911

問13-18 禅師、目の見えない人、耳の聞こえない人は、眼淨色、耳淨色がないのでしょうか?

答13-18 そうです。もしその人達が完全な障碍者であるならば。

#188-150911

問13-19 もしある人が、右手が不自由で、左手だけで仕事をしていて、それでも、非常に智慧があって、因と縁があって具足戒を受けたとします。彼の戒臘(出家して過ごした雨安居の回数=訳者)が十分に足りた時、彼は、他の人に具足戒を授ける事はできますか?

答13-19 南伝の戒律によると、彼は他の人に具足戒を授ける事ができます。ただ、彼が最初に具足戒を受ける時、受戒の儀式に参与した比丘は突吉羅罪(dukkata)を犯した事になります。しかし、右手が不自由な比丘自身は、何の罪も問われません。(完)

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます。Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu)。