Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー問答集~#210~#212>問答(15)問15-1~15-3<障礙の克服編>

☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。

#210-150914

問15-1 昨日「安般念解説書」を頂きました。感謝です。私は安般念を真剣に理解するように努力し、感銘を受けました。それで本日、進歩が速く、更に(業処に)専注し、正念が増え、確信が強くなりました。何日か前の事ですが、一刹那の間に自分の身体の存在を忘れ、息の経過する接触点にのみ専注していました。そして、これまで経験した事のない体験の為に、吃驚しました。指導助手の先生は、これは良い傾向で、恐れないようにと言いました。今日は(こういう事が)二回起こり、時間も前より長かったです。心は非常に静かで、目の前に太陽のような明るい光が光っていて、私はただただ、息の接触点を覚知、専注していました。横に座っていた修行仲間が、大きな咳をした時、私は吃驚して飛び上がりました。まるで座禅の時に香板(警策)で叩かれた時のようで、叩かれた人は何ともないのに、傍にいる人が却って吃驚する、という感じです。自分が息を覚知する事に専注している時、なぜ、大きな音に吃驚させられるのですか?歩いていて、息を覚知している事に専注している時も、他人が道を曲がろうとすると自分が吃驚するのです。私は気の小さい人間ではありませんが、どうしてこうも驚かされるのでしょうか?どうしたらいいですか?

答15-1 純粋に息だけを覚知していて、身体の存在を忘れるのは、大変によい修行体験です。一番大事な事は、このような修行を継続する事です。修行者の定力が進歩し始める時、自然に、雑音に対して敏感になります。というのも、音は、禅定から言えば、尖った棘のようなものだからです。あなたは出来るだけ、音や、その他のあらゆる対象に注意を払わないようにし、一心に気息に専注しなければなりません。あなたの定力が深くて強くなった時、これらの外界の干渉を受けなくなるでしょう。

音、又は影、形に驚くのは、それらに対して、不如理作意があるからです。あなたは、無自覚のまま、それらを何かの恐ろしい境界であろうと作意していて、故に驚いて、不善法が生起します。こういう現象が起こるのは、あなたの過去の生活経験と関係があり、すべての修行者が、皆このようになる訳ではありません。あなたがしなければならない事は、常に如理作意を保持する事です。今現在の事で言えば、自分の禅の修行の目標――ただ気息に注意する事です。

#211-150914

問15-2 私は初心者です。以前、こういう風に座禅・瞑想する機会はありませんでした。どのような姿勢であれば、長く座る事が出来ますか?何日かすると、座れば座るほど立ち上がりたくなり、だるさ、痛み、しびれで心が動いて、念が生じ、座席から離れたくなるのですが、(座るのに反発するのを)どうしたら防ぐことが出来ますか?

答15-2 リトリート合宿が始まったばかりの時には、どの人にもだるさ、痛み、しびれの問題が生じます。もし、忍耐心があり、堅忍不抜に修行を継続するならば、徐々に適応して、諸々の不快感は消失し、長く座れるようになります。

適切な姿勢というのは、人によって異なります。背が高くて痩せている人は、結跏趺坐が簡単にできます。背が低くて、太っている人は、半跏趺坐か、両足を前に平行に出して揃える座り方が、いいようです。あなたはご自分で、どんな座り方をすれば快適で、長く座れるか色々試してみて下さい。

一つ大事な事は、常に身体の骨格のバランスよくし、どちらか一方へ歪む事のないようにします。たとえば、今回は右足を前、左足を後ろにして座ったならば、次回座る時は、反対にします。こういう風に姿勢を調整すると、左右のバランスがよくなります。

#212-150914

問15-3 どうしても我慢できない時、立ち上がって歩いてもいいですか?もし、立ち上がって席を離れたら、座禅・瞑想が(いつまでたっても)上手になりませんか?

答15-3 座っていて我慢ができなくなったら、立ち上がってその場に立ったまま引き続き気息に専注します。座禅の時間に、行禅(経行)するのは良くありません。座禅・瞑想の時間を引き延ばせるかどうかは、あなたの努力と気力次第です。通常は、規則正しく頻繁に座禅・瞑想するならば、座れば座る程、座れる時間は、増々延びていきます。 (完)

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます。Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu)。