☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。
#229-150922
問15-20 鼻孔の出口と上唇の間の気息、およびその気息の感受、およびこの気息の感覚、およびこの気息と皮膚との接触、この四者は、どのような関係にありますか?どのような違いがありますか?なぜ気息だけを(瞑想の)目標とするべきだと言うのですか?
答15-20 気息とは、色法が群をなしたものです。もし、あなたが系統的に、自分の気息において、四界分別観を修行したならば、気息とは物質の微粒子によって構成されている事が分かるでしょう。これらの物質の微粒子は、色聚と言います。感受と感覚は、同じものであり、すべて受について述べられたものです。受とは一種の心所です。触覚とは、実際は身識で、身識とは心の一種です。心と心所は名法で、気息は色法です。これがそれらの区別です。
鼻孔の出口と上唇の間に出現する気息は、安般念を修行する人が専注するべき目標です。感受、感覚と触覚は、安般念を修行する時の目標ではありません。この事は、はっきり区別しておかねばなりません。もし、一心にただ気息に専注する事ができたならば、定力を育成する事ができます。定力が深まると、禅相が出現します。禅相を安定的に長時間専注する事ができたならば、ジャーナを証する事ができます。感受、感覚と触覚に専注するならば、禅相を生起せしめるほどの強い定力を生じさせる事ができないという理由で、ジャーナを証する事ができないのです。これがなぜ(瞑想の目標を)気息だけにすべきなのか、という問いの、答えです。
#230-150922
問15-20 自分が唇の上方、鼻の人中の辺りの息に専注しているのか、それとも上唇、鼻の人中の接点に専注しているのかという事の区別は、どのようにすれば分かりますか?時々、この二つを混同してしまうのですが、どのようにすれば混同を避けられますか?
答15-20 接触点とはあなたの皮膚です。それは静態です。気息はその皮膚に接触している空気です。それは接触点の上を出たり入ったりしています。それは動態です。このように区別して下さい。
更にはっきりと理解できるように例を上げましょう。ここに一本の木があり、それをのこぎりで切るとします。のこぎりで切られている木が、ちょうど唇の上方、又は人中の接触点に相当し、それは静態です。木の上を前後に動くのこぎりが息で、それは動態です。木の上で動いている、のこぎりの歯は、接触点を通る気息で、それは動態です。人は、ちょうど木の上で木を切るという作用している最中の歯にのみ注意して、すでに木を通過してしまった歯に注意を向けません。同様に、修行者は、接触点の上方を通過している(最中)の気息にのみ注意を向け、その注意を息とともに鼻の内部に入れるとか、(身体の)外側の遠くまで飛ばさないようにします。気息と接触点の違いは、このように理解して下さい。毎回、あなたが混乱する度、この比喩を思い出して下さい。(完)
(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)
初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます。Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu)。