南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー問答集~#385~#408>問答(16)問16-105~16-128<波羅蜜><その他の問題>24編。最終版。

☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。(以上で<パオ・セヤドー問答集>翻訳終了です。パオ・セヤドーの著書は色々ありますので、引き続き翻訳したいと思いますが、ブログ更新・再開は20162月初旬からになります)。

#385-151013

問16-105 今回のリトリート合宿に参加できたのは、修行者が過去世において、すでに禅修行の波羅蜜を積んだからだ、といえますか?

答16-105 大多数の参加者には波羅蜜がありますが、そういう風に言う事はできません。過去世で波羅蜜を積もうが積むまいが、皆、禅修行に精進しなければなりません。十分な波羅蜜がある場合、禅修行に精進をすれば、道果を証悟する事ができるでしょう。もし波羅蜜がないとしても、禅修行に精進して、波羅蜜を積まねばなりません。

#386-151013

問16-106 放生、経典の出版、病人の慰問などの善行は、波羅蜜ですか?

答16-106 もし、それらの経の内容が真実の仏法であり、かつ彼が経を出版する時に涅槃を証悟したいと発願しているのならば、それは布施波羅蜜で、彼が涅槃を証悟する為の助縁になります。しかし、もし彼の経の出版が、世俗の成功を得たいが為、たとえば、事業の成功及び天界への生まれ変わり等であれば、それは福業に過ぎず、波羅蜜ではありません。簡単に言えば、もし波羅蜜を積みたいのであれば、彼は善を行う時、涅槃の証悟か又は生死輪廻からの解脱を発願しなければなりません。

#387-151013

問16-107 修行者の一人一人、多生多世において、十分な波羅蜜を積まなければ証悟する事はできません。しかし、悪趣に生まれたり、又は人道には生まれたものの、引き続き修行するのを忘れてしまったり、又は仏法を聞く因縁がなかったりする時、彼が以前に積んだ波羅蜜は消えて無くなりますか?どれくらいのレベルまで修行したら、何度生まれ変わっても、修行する必要性を忘れないでいられますか?

答16-107 あなたが過去世で積んだ波羅蜜は、決して消失する事はありません。一万個の大劫の前に積んだのであっても、です。須陀洹道を証悟したならば、一生毎、一世毎に、修行を続ける必要性を忘れる事はありません。

#388-151013

問16-108 禅師はよく波羅蜜を強調します――「十分な波羅蜜を積むことによって初めて証悟する事ができる。」と。我々は今ここで何をすれば、証悟する為の波羅蜜を積むことができますか?

答16-108 証悟する為の波羅蜜を積むというのならば、あなたは涅槃を証悟したいという心でもって、智慧の種子と善行の種子を育成しなければなりません。この二つの種子を波羅蜜と言います。智慧の種子を育成するには、あなたは究竟名色法を観照し、次に名色法の因を観照し、その後に因果の名色法は皆、無常・苦・無我であると観照しなければなりません。この三段階の中のどれでもが、あなたが涅槃を証悟するのを助ける強力な智慧の種子になります。善行の種子を育成するには、布施、持戒と止禅の修行という、これらの善業を実践しなければなりません。これらの善業は、あなたを善趣に生まれ変わらせますから、禅修行に必要な良き条件を提供し、また、諸仏又は仏弟子に出会う大きなチャンスを齎すでしょう。善行種子の支援の下、あなたは仏陀の教えに従って観禅(vipassanā)の修行をし、それを支えに更に智慧の種子を育成します。あなたの波羅蜜が熟した時、聖道と聖果を証悟する事ができます。 

#389-151013

問16-109 波羅蜜の成熟とはどういう事ですか?

答16-109 あなたが聖道を証悟した時です。

<その他の問題>

#390-151013

問16-110 クル国というのは、今のどこですか?

答16-110 学者の考証では、クル国は、今のインドの首都ニューデリーだと言われています。

#391-151013

問16-111 もし比丘が涼しく、洗いやすく乾きやすい、禅修行に合う高品質の袈裟を着ているとしたら、適宜正知を修行していると言えますか?

答16-111 はい。

#392-151013

問16-112 自分が仏法を学ぶにおいて、何か間違えたとしたら、どのようにして発見する事ができますか?

答16-112 仔細に仏陀の仏法を研究して下さい。特に《中部》と《長部》経典を。次に、注釈の研究もして下さい。特に《清浄道論》と《アビダンマッタサンガハ》を。その後であれば、あなたは自分の仏陀の教えへの理解に、問題がないかどうかが(自分で)分かります。

 #393-151013

問16-113 一人の和尚として経、律、論の学習をどうバランスしますか?

答16-113 教理と禅修行に精通している導師の指導の下で、学習するべきです。

#394-151013

問16-114 一人の修行者が、山に向かって座禅している時、突然一匹の龍が飛んできて、彼の身体の中に飛びこみ、それ以降、彼の身体には龍!が住みついているそうです。その龍は調伏されて彼の体内にいるので、常に、意識的にも無意識的にも、自分は常人ではないと暗示します。こういう事柄は、修行者の身に起こり得ますか?どのような因果なのでしょうか?

答16-114 彼は夢をみたのでしょう。

 #395-151013

問16-115 いまだ禅定に到達していない仏教徒は、説法したり仏法を共に享受したりしても構いませんか?

答16-115 大丈夫です。もし、彼の教えているのが真正の仏法であるならば。皆さんは私が前日お話したマハーシヴァ大長老(Mahāsiva Mahāthera)の事を覚えていますか?彼はまだ凡夫であった時、多くの比丘に禅修行を教えました。そして、6万もの弟子が阿羅漢果を証悟したのです。

#396-151013

問16-116 註釈では、如理作意の定義を、無常を無常とみなし、苦を苦とみなし、無我を無我とみなし、不浄を不浄とみなす事、としています。これは、諸行法を無常・苦・無我・不浄と観照する事ができない人は、完全に如理作意がないのだと言う意味ですか?もしそうであれば、彼らは如理作意をどの様に運用するのですか?

答16-116 諸行法を無常・苦・無我・不浄とみなすのは観禅(vipassanā)の如理作意で、これは高度な如理作意です。いくらかレベルの低い如理作意もあります。たとえば布施、持戒と止禅の如理作意です。業力の果報を信じるのも如理作意です。

#397-151013

問16-117 梵天神は男もいるし、女もいるのですか?

答16-117 すべての梵天神は性別がありません。というのも、彼らには性根色がないからです。ただし、外観は男性的です。

#398-151013

問16-118 人が死んで、身体が冷たくなった後、数時間後、又復活するのは何故ですか?

答16-118 仏陀の教えでは、一人の人の命根、業生火と心識が停止したなら、死亡します。この三種類の要素が存在するならば、彼の身体が冷たくなっても、まだ生きています。もし、人が本当に死亡したら、復活する事はありえません。

 #399-151013

問16-119 非想非非想処の衆生は、直接悪道に生まれ変わるのでしょうか?

答16-119 いいえ。もし彼らが、彼らの非想非非想処禅を、臨終の刹那まで保持する事ができるならば、彼らは同一の界に生まれ変わります。もし不可能ならば、非想非非想処禅の前の近行定が熟すので、彼らは欲界善趣、すなわち、欲界天又は人間界に生まれ変わります。彼らは直接悪道、色界天又は低レベルの無色界天に生まれ変わる事はありません。

#400-151013

問16-120 人はなぜ男性に生まれたり、女性に生まれたりするのですか?

答16-120 もし彼が善業をなし、たとえば布施、持戒、止禅または観禅(vipassanā)の修行の事ですが、その後に男身または女身を得たいと発願し、かつ当該の善業が臨終の時に熟すと、彼は自分の願望にそって、男性に生まれたり、女性に生まれたりします。

もし人が邪淫を犯し、そして、当該の悪業が臨終の時に熟すと、彼は地獄に生まれ変わって苦果を受けます。地獄から離脱して次に人間界に生まれた時、女性として生まれます。

#401-151013

問16-121 初禅以上に到達した修行者の意識は、入定の時、自由に欲界天や地獄に行く事はできますか?どれくらい長くそこに留まる事ができますか?

答16-121 それはできません。もしあなたが欲界天や地獄に行きたいのであれば、出家し(出家の生活は、比較的時間があります)、その後に14の方法で十遍八定を修行して心を制御し、神変通(如意通)を育成して下さい。

#402-151013

問16-122 仏陀の用品はすべて舎利子ですか?

答16-122 仏陀の用品は「用品聖物」(paribhogacetiya)と言います。

 #403-151013

問16-123 大きな舎利子とか、色の異なる舎利子とかがありますか?

答16-123 舎利子の大きさは三種類あります。緑豆くらい、米半粒くらい、または芥子粒くらいです。色も三種類あって、象牙色、真珠色と金色です。

#404-151013

問16-124 内部に舎利子があるかどうか分からない舎利塔は、礼拝の価値がありますか?

答16-124 内部に舎利子が無いとしても、仏陀の特質を憶念して礼拝するならば、やはり莫大な利益を得る事ができます。反対に、たとえ内部に真正の舎利子があったとしても、散乱する心で礼拝するならば、大きな利益を得る事はできません。

#405-151013

問16-125 座禅していて昏沈または掉挙になった時、毎回異なる方法で退治しなければなりません。禅師、どのようにすれば、有効な退治方法を掌握し、いつでも善用する事ができるようになりますか?

答16-125 昏沈を克服したいのであれば、あなたは仏陀がモッガラーナ尊者に教えた昏沈を克服する為の八つの方法を学んで下さい。これについては、すでに説明した事があります。掉挙を克服する為には、深くて厚い定力を育成して下さい。

#406-151013

問16-126 仏陀はある時期、馬のエサしか食べる事が出来ませんでした。これは仏陀の業障ですか?

答16-126 そうです。ある過去世の一生で、菩薩はサンガを侮辱し、彼らに飯を食べるな、生麦を食べろと言ったからです。

#407-151013

問16-127 仏陀の時代、多くの阿羅漢が牛に突かれて死にました。これは彼らの業障ですか?それとも彼らがあまりにも経行に専注していたので、牛が向かって来るのに気が付かなかったのでしょうか?又は、牛がいるのを知っていて、牛に道を譲らなかったからですか?

答16-127 私は仏陀の時代にそれほど多くの阿羅漢が牛に突かれて死んだとは思いません。《法句経註》及び《中部註》に、婆醯(Bāhiya Dārucīriya)、布古沙帝王(king Pukkusāti)、らい病患者蘇巴普陀(Suppabuddha)及び劊子手銅牙(Tambadāṭhika)の四人が母夜叉に取りつかれた牛に突かれて死んだと、書かれています。婆醯は阿羅漢で、布古沙帝王は阿那含聖者で、蘇巴普陀は須陀洹聖者で、銅牙は観智を有していた凡夫でした。

その過去のある一世で、彼ら四人は皆富豪の息子で、母夜叉は一人の美しい娼婦でした。ある日、彼らは彼女と一緒に公園に遊びに行きました。夜が来ると、彼らは以下のような行動をとりました。「ここには我々だけで他に人はいない。我々はあの女にあげた1000個の貨幣を取り返し、また、彼女の装飾品も奪い去ろう。彼女を殺して逃げよう」と。この話を聞いた娼婦は、心で思いました「この恥知らずな輩は、私と楽しんだ後、私を殺そうとしている。私は歯には歯で復讐してやる」。故に、彼らが彼女を殺そうとした時、彼女は発願しました:「願わくば母夜叉になって彼らを殺さん事を」と。彼らの悪業と彼女の発願によって、後の世で彼らは彼女に殺されてしまいました。 

#408-151013

問16-128 聖者は、他の聖者がどのような道果を証悟したか、観じる事ができますか?

答16-128 聖者は他心通を有している時のみ、他の聖者がどのような道果を証悟したかを観じる事ができます。とはいえ、彼は自分が証悟した道果と同等かまたはそれより低いレベルの道果をのみ観ずる事ができ、(自分より)レベルの高い道果を観ずる事はできません。<全編翻訳完了>

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます。Idaṁ me puññaṁ nibbānassa paccayo hotu)。