Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー問答集~#029、#030>問答(四)問4-4、4-5(全文)

読者の方からご指摘がありました。

問4-4、問4-5が抜けていました。下記に公開します。

誤字脱字等ありましたらご指摘下さい。

 

#029-150718

問4-4 課程(パオメソッド~訳者注)を完成させものの、修行者がまだ涅槃を証悟できていないとしたら、彼は住法智(dhammaṭṭhiti-ñāṇa)を得る事ができますか?もし可能として、この種の智慧は消失しますか?

答4-4  修行者は住法智(dhammaṭṭhiti-ñāṇa)を得る事ができます。「Pubbe kho Susima dhammaṭṭhitñāṇaṁ pacchā nibbāne ñāṇaṁ」――「まず先に法住智、その後に涅槃を対象にした道智」これは仏陀が須師摩(Susima)に与えた開示です。須師摩は外道梵志22(paribbājaka)で、<法を盗まん>23が為に、仏教教団の中で出家しようとしました。仏陀は、彼が幾日もたたない内に涅槃を証するだろう事を察知して、彼の出家を許しました。

須師摩は、大勢の阿羅漢が仏陀に会いに来て、かつ、彼らが阿羅漢を証悟した時の状況を報告するのを聞きました。それで、彼は阿羅漢達のいる所へ行き、彼らに八定と五神通があるかどうか訊ねました。これらの阿羅漢は「ない」と答えました。「もし八定と五神通がないのならば、あなたがたはどのようにして阿羅漢果を証悟したのですか?」これらの阿羅漢は答えて曰く「Paññāvimuttā kho mayaṁ āvuso Susima」――「おお、友よ、須師摩。我々は、純観行(suddha-vipassanā-yānika)によって煩悩を滅し、阿羅漢果を証悟したのです」。須師摩は彼らが何を言っているのかよく理解できなかったので、仏陀に会いに行き、同様の問題を訊ねました。仏陀は「Pubbe kho Susima dhammmaṭṭhitiñāṇaṁ pacchā nibbāne ñāṇaṁ」と言いました――「まずは法住智、その次に涅槃を対象にした道智である」。

これはどのような意味でしょうか?道智は決して八定や五神通の結果ではなく、道智は観智の結果なのです。故に、道智はすべて法住智に分類されます。ここで言う法住智とは:すべての行法または有為法(saṅkhāra-dhamma)とそれらにおける無常・苦・無我の本質を透視する観智の事です。行法とは、名、色とそれらの因縁です。このように、名色、名色の因縁とそれらの無常・苦・無我の本質を透視する観智を法住智と言います。故に先に法住智、その次に涅槃を対象とする道智(であると言うのです)。

続いて、仏陀は三輪教法24(teparivaṭṭadhamma-desanā)を開示しましたが、それは≪無我相経 Anattalakkhaṇa Sutta≫に書かれてある通りです。説法が終わった後、須師摩は、八定も五神通もありませんでしたが、阿羅漢果を証悟しました。彼も純観行者であり、その時、彼ははっきりと、仏陀の教えの内容を理解したのでした。

もし修行者がこの智を得たならば、今生において、涅槃を証悟していないとしても、彼の観智は消失する事はなく、潜在的な観禅業力は依然として強くて力のあるものなのです。もし彼が普通(の)弟子ならば、彼は遠くない来世において、涅槃を証悟するでしょう。(完)

#030-150718

4-5  

修行者は近行定だけで出世間の境地に到達する事ができますか?

4-5

できます。近行定の段階でも、明るく輝き、放射する光があります。この光によって、修行は色聚、究極色法、究極名法とそれらの因縁を識別する事ができます。その後に、彼は引き続き、段階を追って観禅(vipassanā)を修行します。

 

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新は休みます)。