Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~44>仏道を生きる

子供の頃から仏教が好きで、放課後、学校に残って友だちと遊ぶなんてことはなく、さっさと家に帰り、一人で仏教書なんぞを読んでいた。早熟と言えば早熟かもしれないけど、でも、しょせん子供脳だし、独学だから、仏法とは何かさっぱり分からない時期が長く続いた(仏典を読むときは、仏典そのもの以外に、注釈と注釈の注釈、すなわち復釈というのまで読まないと、理解できないのだ、と知ったのはつい最近です~苦笑)

胸に抱えた長年の疑問を、タイの森林寺院を訪ねて(<結婚する出家僧侶>というのは私の辞書にはなく、故に<日本の僧侶から学ぼう>という発想はついぞ生まれず)、テーラワーダの生身の<比丘さん>に、初めて質問した時は、すでに30歳を過ぎていました。そして、輪廻、業、業障、無常、無我等の仏教のキーワードを、自分なりに理解、消化し、次に緬甸(ミャンマー)の森林寺院に行くようになったのは、50歳の頃。

女だてらに、タイや緬甸の森林寺院まで出かけて学んだ、というのは普通の主婦からみたらそれなりに<すごい事>ではあっても、しょせんは<独学>、所謂法師(人に仏法を説く資格のある者)や禅師(業処を指導する師)になれたわけでもない(某セヤドーの温情で、sayalayになりましたけど)。

子供の時から<仏教・好き・好き>で、タイや緬甸まで出かけて理論を学び、瞑想を実践し・・・、こんなに頑張ってきて、はて、私は何を得たのだろうか?と還暦過ぎて自問してみると・・・・大して進歩してないよなぁ(人間の<人となり><性格>というものは、ちょっと修行したくらいでは変わらないなぁ)と思ったり、イヤイヤ、毎日少しずつでも座禅瞑想してきたから、何かしら、せめて定の力、気づきの力くらいは成長してんじゃないの、と思ったり。

仏教理論は、深く掘り下げようとするといくらでも議論できる。<無我>についての議論なんて、哲学的思弁が好きで、口が立つ人なら、一生やってられそう・・・(笑)。

議論の為の議論、そんなのは不毛だなぁ。

そろそろ<仏道を生きる時間>が来たのかもしれない。