Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~45>互動と神対応

以前、大阪の某所で、チベット仏教で有名な「ミラレパ」についての講座があると聞き、九州別府港からサンフラワー号に乗って、大阪で10時から始まる講座に、通った事があります。

ミラレパの事なら何でも知りたいと思い、講座の内容については詳しく聴かず、受講料はパパッと(笑)支払いました。

参加してみて知ったのですが、K先生がチべット語でミラレパの伝記を読み、またそれを日本語に直して聞かせてくれました(先生はチベット語と日本語のバイリンガルのようでした)。

先生は、当日急いで東京へ戻る必要があったのか、午後の2講目が終わると走るように駅に向かう感じで、質疑応答の時間がないのが、ちょっと残念に思ったものです。

前置きが長くなりましたが、先生は私に「仏教は日本語で読むのと、中国語で読むのと、どちらがいいですか?」と、お尋ねになりました。私は「もちろん中国語」とお答えすると、先生は「そうなんですよね。チベット語か?日本語か?言われると、断然チベット語で学ぶのがよい」「日本語になんとか訳してはみても、日本語ではもう一つ、しっくりこない仏教概念が一杯あって困ります」との事でした。

上にあげた<互動>という言葉も、日常生活の中で中国人同士、fudong と言われるとすぐ腹落ちします。辞書には双方向的とか、インタラクティブとありますが・・・、日本語で言うと・・・お互いがお互いに影響し合っている・・・といえるでしょうか?ただ<お互い様>と訳しては、ちょっと違う感じがする。言葉の持ち味というのでしょうか、なんとなく微妙なんですね。

私は一人暮らしなので、嫁姑問題や夫婦問題はないのですが、外での人間関係で不愉快な事があった時、相手の〇〇さんを責める前に、自分がもう少し神対応できなかったのかな?と反省するようにしています。

神対応凡夫にはなかなか難しいです。一瞬自己を空っぽにして、慈悲を持って、相手の為に智慧を絞り、気の利いた行動を取ったり、返答をする。わざと怒ってみせる、な~んて裏技も含め、本当、難しいです。

でも、すべては<互動>なんだから、相手を責めず(凡夫ですから完全にそうするのは無理ですが)、「今度似たような出来事があったら、神対応できるといいな」と思って、脳内シュミレーションなどしてみたりしています。

人間関係は一方通行で無く<互動>、これが分かると気持ちが少し楽になるかも、です(勿論、本当に、本当に苦手な人、事柄には、逃げの一手もあります。36計逃げるしかず~笑)。