――我見をなくし、寛恕と寛容で対処する
所謂<我見>とは、自分の考えが絶対に正しい、と(固く)思う事。このような意識は、修正されなければならない。
智慧ある人は、他人の考えを冷静に聞き取り、分析をして後、受け入れられるものは受け入れ、受け入れられないものは、再度咀嚼・濾過し、消化する。
しかし、最も基本的な修養としては、寛容である事、忍耐と寛恕を、私は推すものである。もしあなたに以下の事が出来るならば――自分の見解とは異なっても、他人を排斥する事無く、かつ永遠に許し、受け入れる。こうすれば、あなたの煩悩(イライラ、ストレス)は必然的に大いに減少し、かつ、ようやくにして、仏法を学ぶ最初の段階に到達する事ができる。
我々は、自分に病的な心性がある事を許してはいけない;たとえば、攻撃的、批判的、または言葉に棘があり、辛辣であることなど。
会話は最高の芸術の一種であり、人はあなたの一言で喜んだり、苦痛を感じたりする。そうであるなら、我々はなぜ、他人の自尊心を傷つけたりする必要があるだろうか?
(台湾高雄文殊講堂 慧律法師著
翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)