命の意義は悟り(覚醒)にあり
我々は長い間、打ち破る事のできない観念に常に束縛されて、
解脱の道を見つける事ができないでいる。
故に、我々は仏陀のダンマを学ばねばならない。
真理を受け入れて薫習されて初めて、あなたは命の覚醒を
完成させることができる。それ以外、命に何の意義がある
というのか?
(中略)
我々は毎日何の目標もない日々を送っている。朝起きて、
お手洗いに行き、顔を洗い、出勤し、昼になればお昼ご飯、
暇々に株の上げ下げを気にし・・・退勤後、家庭のある人は
急いで帰宅して夕食の準備、独身者はゲームセンターへ
行って思いっきり遊ぶ。
皆、このように取り留めもなく、何も得ることなく、いい加減
に一日をやり過ごす。
このように一日又一日、一年又一年と生きて、今では老いさら
ばえていても、なお悟り(覚醒)を得る事がない。
人々は、一瞬たりとも思索する事がない――ある日、己の棺の
蓋が閉った時、自分は何物をも持って行く事が出来ないのだ、
という事を。(つづく)
(台湾高雄文殊講堂慧律法師著
翻訳文責Pañña-adhika sayalay)