Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「四煩悩を断つ」(「断除四煩悩」翻訳文)―15

人々は皆、自分がアニキまたはアネキになって、他人の面倒を

見ようとしたがる。

しかし、ある種の人々は、自分の慈悲の心を発揮して、弱者を

保護する事ができるのに、他人の意見を聞くのが嫌い、という

事がある。

ある種の人々は、我慢(傲慢)の為に、長い間、強烈な無知

(智慧のない事)の中にいる。そういう人々は、自己の見解(偏見)

の蛸壺の中に落ちたならば、どのような事柄についても自分の考え

を持ち、エゴによる、色々な仮説を設定する。

そして、エゴによる仮説が突破できない時(=自己のエゴに固執

して、エゴを撤回出来ない時)、後はひたすら、自分のエゴを

押し通そうとする。

我慢(傲慢)による心の壁が、他人を受け入れなくしており、

その人の見解は、永遠に、自分の理解できる(偏見の)範囲の

ものを越える事がない。

我慢(傲慢)の人は、他人の、自分に対する提案を受け入れる

ことができず、意見や提案をすると、そのことで自分は傷つけ

られた、と言い、騷ぐ。

長年の強烈な自我の観念(の保持)が、強烈で暴力的な個性を

育ててしまう。

我々は、自分の周りを見渡してみて、男性でも女性でも、

一日中怒っている人がいたら、それは傲慢な人間だ、と言える。

傲慢と短気は、一枚の紙の表裏をなしている。というのも、

彼は他人に対して、決して満足する事がないのであるから。

(つづく)

             (台湾高雄文殊講堂 慧律法師著

              翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)