心に感謝の念を持ち、我慢(傲慢)を調伏する事
人は常に自画自賛して、自己を賞賛する。このような傲慢な心性は、
どのようにすれば、調伏する事が出来るのか?
例えばこのように考えてみる:
世間には、自分より優秀な人はどれくらいいるだろうか?
我々は、社会で、いくばくかの成功を成し遂げたかもしれないが、
しかし、自分の目の前にある小さなことども、皆、他人の手に
頼っているのであり、自分では作り出せないもの
ばかりではないか!
我々が筆記に使う鉛筆を、あなたは自分で作り出す事はできず、
他人に作って貰わねばならないのだから、鉛筆の生産者に
感謝しなければならない。
あなたは電灯を発明できるのか?できない。
であるなら、電灯を発明した人に感謝しなければならない。
我々には、感謝しなければならない対象は非常に多い故、
己が、なんら傲慢であってよい訳がない、という事を、
知らなければならない。
あなたが歩いているアスファルト道路は、労働者が敷設した
ものだし、便器を製造する者、道路清掃人など、皆、偉大で
あり、感謝の対象になる。
この宇宙のありようにおいて、ある者の命は比較的活発であり、
ある者の命は比較的活発でない、ということはあり得るが、
しかし、宇宙の存在そのものは皆、それぞれが欠かすことの
できない役割を受け持ち、演じているのである。
我慢(傲慢)は根本的な障害になる事を知る~
我慢(傲慢)は人が成長するのに、根本的な障害になる。
古徳は言う「我慢高山、不留徳水(高慢なる高山は、徳水を留める
事ができない)」。徳行の人は、決して傲慢ではありえない。
傲慢な人は、器量が小さく、性格は粗暴で、常に、人に敬遠される
ものである。(つづく)
(台湾高雄文殊講堂慧律法師著
翻訳文責Pañña-adhika sayalay)