南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

是誰庵のひとやすみ~50>一休禅師とトンチ話

若い時に、一休禅師の伝記を読んでも、よく理解できなかっ

たが、最近、彼の道歌集を読んで、ちょっと感動している

(私にも、分かるようになった!亀の甲より年の功!!)。

彼は反骨の禅者だ。

権力や権威、組織なんぞ、認めないのだ。仏陀は四姓平等を

説いたのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。

仏教を含む色々な宗教は、年を経て古くなったものは形骸化し、

腐敗もする(だからと言って、新興宗教がよい、ともいえないが)。

そしてやがては、権力とか権威とか利権とか、一番腐敗しやすい

ものと結託してしまうのだ(キリスト教の歴史を見よ)。

一休禅師は、<父母未生の本来の面目>を悟っていた。

故に、概念・妄想に囚われないから、発言も行動も自由闊達。

森女と生活を共にしていたのは、戒律違反と言えば言えるが、

権力・組織と結託して甘い汁を吸っている高僧を嘲笑い、組織

属さず、ただ一人孤高に生きた一休禅師には、森女と生活する

事自体が、腐った仏教界(日本の仏教界はこっそり妻をめとる

僧侶がいたし、男色もあったから)への挑戦状だったのかも

知れない(日本の仏教界は性の問題を解決しえていない。

南伝のテラワーダはどうか?テラワーダでは、女性は比丘の居住地域に

近づいてはいけないので、比丘にしか、実体は分からない)。

一休禅師のトンチ話に「このハシ渡ってはならぬ」「では

真ん中を通ります」というのがあるが、これは只のトンチ話

ではなく、庶民も侍も本来平等であって、誰もが橋の真ん中を

通る権利がある、という主張を含んでいる。

一休さんのトンチ話>は、子供向けに骨抜きになっている部分

があるが、一休禅師は禅者の矜持をかけて、権力や権威に

反抗したからこそ、世に名を遺したのだと思う。

今、一休禅師の道歌を読むのが日課、私の楽しみである。

(ちなみに宗教は自己責任、自分一人でやるもの。勧誘など

愚の骨頂だと、私は思っとります)。