Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「四煩悩を断つ」(「断除四煩悩」翻訳文)―18

相手に勝たせてあげる

シャカムニ仏は、自分の事を、世界で最も平凡な人間であると

自認していた。故に、彼には煩悩が無かった。

しかし、多くの人々は、自分を世界で最も立派な人間、最も非凡な

人間であると思いなして、煩悩だらけの日々を送っている。

(中略)

もし、毎日を楽しく過ごしたいのであれば、我々は、仏陀

ダンマを真面目に学ぶのがよい。もし、よい因縁に恵まれて、

仏法を学ぶ機会があったのに、それを取り逃がしてしまった

のでは、大変にもったいない。

というのも、仏陀のダンマは、非常に偉大なのであるから。

こうして、私は、24時間、喜びの心で生活している。

今、私を怒らそうとしても、少し難しいかもしれない(たまに

怒る事があるが、めったにない)。

というのも、我々は、一たび人生の何たるかに覚醒したならば、

世間の一切合切に対して、何ら争うとは思わないからである。

あなたが勝ちたければ、勝たせてあげる。

だからといって、私が負けた訳でなし。

二人で顔を真っ赤にして争うくらいなら、相手に勝たせてあげて、

自分は解脱しよう。

あなたは勝ちたい、勝ちたいというが、勝っても恨みは収まらない。

私は負けを認めるが、負けても、楽しくて仕方がない。

こうして誰もが敗けを選ぶようになれば、それでも勝ちたい人は

いるのだろうか?

ある種の人々は、非常に弁が立ち、そして必ず、人を言い負かせず

にはいられない。こういう人々は、言論の上では勝利を勝ち取って

も、興奮して、夜眠れない。

私なら、さっさと負けを認めて、人と争わず、心が平和な方を選ぶ。

勝ったの、敗けたの、という意識がないので、夜はぐっすり眠る事が

出来る。こういう事であるから、負けるが勝ち、誰が勝ちたい?

もし問題があるのならば、争うのではなくて、お互いに意見を

述べ合い、落ち着いて検討し、粗暴なふるまいはやめ、皆で冷静に

研究し、解決の道を求めればよい。

我慢(傲慢)の退治は、あまり自己を突出させることなく、自我

を過度に膨張させない事だ。

もし、あなたが高級官僚であっても、慈悲をもって、部下の考えを

聞かなければならない。そうでなければ、あなたに他人の心の声は

届かない。

所謂民主とは、できるだけ多くの声を受け入れる事をいう。

我慢(傲慢)は専制に近く、妄想で心が狂っている人は、

他人の意見を聞く耳を持たず、自ら(の性格を)改善する

チャンスを失っているのである。

           (台湾高雄文殊講堂 慧律法師著 

            翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)