天の下、本来無事
愚かな人は、一日中ああでもない、こうでもないと、騒ぎ立てる。
彼はこのようにしてしか、日を過ごす事ができない。
本物の修行者はいかに?
彼と、凡夫とでは、どこが異なるか?
二者の間には大きな違いがある。
一人の、大徹大悟の人は、天ほど大きな出来事があっても、
彼の心の中では、大した問題にならない。天ほど大きな紛争、
動乱、不満、攻撃、傷つけ合いは、彼の心の中では、
すべてなかったことにできる。
我々凡夫は、風だと聞けばもう雨だと思い、未だ事件の
全貌を知る前に、ギリギリと歯ぎしりしている。
人は他人の一言に傷つき、人から傷つけられることに敏感に
なりすぎ、他人から賞賛される事ばかりを期待している。
もし、一人の人間が、他人から賞賛されるのを望み、
それに依存する事でしか、生きる事ができないならば、
<脆弱の人>と呼ばれる。
他人に賞賛されてのみ、初めて生きているような気がする
人の心は、(心理的)依存性で固まってしまっている。
(つづく)
(台湾高雄文殊講堂 慧律法師著
翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)