ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー21
8)経典に描かれている縁起には色々な種類がある。たとえば:
(1)無明から老死(苦)までーー縁起を正順の方法で説明
しているもの。
(2)老死(苦)から無明ーー縁起を逆順で説明しているもの。
この(1)と(2)の正順と逆順の二種類の説明は、縁起の
還と滅が含まれる。
(3)根境の説明から始め、識、触、受が生まれることを
言い、しかし、無明には触れていないもの。
(4)受から始まり、苦(老死)まで続くもの。
(5)最後の一つは、非常に奇特な説明の仕方かも知れない。
生と滅は、一回の縁起の運行の中で説明され、無明の縁に
よって行あり、行の縁によって識あり、識の縁によって名色
あり・・・、受の縁によって渇愛がある、といい、かつ、
渇愛滅すれば取滅し・・・と、苦の滅まで述べたもの。
これは最も奇特な説明である。この種の説明は、実は、
縁起が生じて、渇愛に発展してしまっても、その時正念を
生じせしめる事ができるならば、渇愛の流転・捻転は、
中断する事ができ、翻って、苦を除く事ができる、と
言っているのである。
もし、我々が経典の中の各種の形式の、さまざまな縁起
について議論するならば、我々ははっきりと、縁起は
三世を含まなくても可能だ、という事が分かる。
(つづく)
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)