一般の人からみれば、「縁起」というこの単語は、非常に理解しにくい
ものである。しかし、我々にとって、他に代替えできる文字がないため、
「縁起」という言葉を理解するよう努力するのは、各人の責任という事
になる。不断に、この名詞について思いを巡らし、自分の中で納得でき
るまで、努力する必要がある。
かつて出家したことがあるか、仏教の勉強をした事のある人は、
「縁起」というこの言葉を聞いた事があると思うが、しかし、
一般の在家の人々は、困惑を感じて、「縁起」という言葉に注意
を払わない。そうすると、仏教の中の、最も重要な法を、理解する事
ができなくなる。
私は、それが受け入れられ、通常の常識として通用するように、
解説をする必要があると、考える。(つづく)
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)