ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー31
なぜ縁起を理解する必要があるのか?~~
二つ目の問題は「なぜ縁起を理解する必要があるのか?」。
仏教の学習と修行をするためには、縁起を理解しなければならない。
現代の人々が、縁起を理解しないがために、縁起は邪見としてとらえ
られている。普通の人の邪見とは、ちょうどサッティ比丘と同じよう
であり、サッティ比丘の持っていた観念とは「輪廻の中で流転するの
は識であり、他の物ではない」である。
この比丘は、識を認める事を通して「人」「私」「衆生」
がいて、輪廻の中で、一生また一生と不断に流転しているのだと言う。
彼は<識がある以上「人」「私」「衆生」が、恒常なる輪廻の中で
流転している>と信じていたが、これは縁起の本質を知らない為に
生じた邪見である。(つづく)
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)