南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー34

なぜ縁起を知るべきか?~~

次の問題は「縁起を知ると、どういう利益があるか?」について。

縁起を理解する目的は、我々をして邪見を離れ、正見を生じせしめ、

その事によって、徹底的に苦を滅する事(をめざす)。

邪見とは、「人」が存在している、そして「人」が業の報いによって

来世に(何かの生き物に)再生する、と誤解する事である。

もし、未だに、識は自我であると誤解するならば、それは邪見であり、

引き続き、痛苦を経験しなければならず、苦を滅する事はできない。

故に、我々は、識の本質とは何か、を知らなければならない。

識は縁生法であり、識は縁によって生起する、これが正見ーー

正しい理解ーーであり、(正見を得る事によって初めて)徹底的に

苦を滅する事ができる。

この点に関して、パーリ経典に簡潔な記載がある:「識は縁生法で

あり、相互に依存し合いながら生起する現象であり、もし、

因縁条件が整わない時、識は生起することはできない」と。

もし<識>が、本当に主体性を有するというのであれば、それは

自主的に出現する事ができ、因縁条件に依存する事はない。

実際には、識自身は単独で存在する事はできず、ただ因と縁の

相互依存の条件の中で、生起する事ができる。

それは非常に繊細で、我々をして、思考するのを可能にしたり、

感覚の感受を可能にしたり、名色(身心)に何か仕事をさせたり、

話をさせたりする。

故に、(人は)心身の中に一つの主体があると誤解し、それを

<識>と名付けた。

縁起を理解する事は、我々をして、邪見を放棄し、徹底的に苦を

滅するのを、助ける事ができる。(つづく)

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)