縁起を徹底的に理解するために、縁起の11種類の状況
について説明する:
1、無明縁行:無明を縁として、行が生じる。
2、行縁識:行を縁として、識が生じる。
3、識縁名色:識を縁として、名色が生じる。
4、名色縁六入:名色を縁として、六入が生じる。
5、六入縁触:六入を縁として、触が生じる。
6、触縁受:触を縁として、受が生じる。
7、受縁愛:受を縁として、愛(渇愛)が生じる。
8、愛縁取:愛を縁として、取が生じる。
9、取縁有:取を縁として、有が生じる。
10、有縁生:有を縁として、生が生じる。
11、生縁老病死:生を縁として、老、病、死、憂、悲、
悩、苦など、純なる大苦が聚集する。
以上から、11種類の状況が捻転として、相互に依存しあい
ながら、運行している事が分かる。11種類の状況の中には、
いかなる分割もない。
故に、前の二種類の状況を過去世の事だとし、次の8種類を
現世とし、余りを来世とし、縁起の一度の流転を、三世輪廻
を貫通するものとみなして説明する必要は、ない。
もし、どうしてもこのように説明したいとして、縁起を
どのように掌握して、苦を滅する修行に生かすことができる?
縁起が分割された・・・「因」はこの世にあり、「果」は彼の世
にある。そうであれば、現代の縁起に関する教義は、我々に
なんらの役にも立たない。
それは、縁起が誤解され、三世を貫く輪廻の事として、
解説されるからである。
もし皆さんが、パーリ経典を解読するならば、縁起とは
そういうものではない、という事を発見するであろう。
縁起とは、何も三世まで待って一回の縁起を完成させる、
という必要はなく、ただ一刹那、または2刹那、3刹那
あれば、一回の、完全なる縁起は進行する。
(一刹那か、2刹那か、3刹那かは状況によるが)縁起とは、
三世を待つ必要はなく、1刹那あれば十分なものなのである。
(つづく)。
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)