今、私は毎日、ブッダダーサの著作「生活の中の縁起」を
翻訳しています。
なぜ、ブッダダーサが「縁起とは日常生活の中の出来事
であって、三世輪廻の事ではない!」と声を嗄らして叫ぶのか?
このことは、タイの仏教界の現実と関係していると、思います。
アーチャン・チャーも言っていますが、タイ人はタンブン(功徳
を積む)のが好きです。仏教の祭日(仏陀誕生、成道、涅槃の
花祭り、入安居、出安居の儀式、衣を布施するカティナ祭等)
では、お布施をするために、人々がお寺に押し寄せます・・・
しかし、この人々の中で、どれほどの人が<心の修行>をして
いるか、というと・・・。
三世輪廻を言い、来世の幸せの為の功徳をいい、それによって、
お布施好きの仏教徒が増え、お寺はにぎわい・・・しかし、
<今・ここ>における<心の修行>をする人がいないと
したら・・・それは仏陀の本懐では、ありません。
アーチャン・チャーは「心の清浄の為の修行をしないで、お布施を
しにお寺を回るのは、汚い雑巾でものを拭く度に、雑巾がさらに
汚れていくのと同じ。そんな人はお寺に来るな!」
と言っていました。
三世輪廻はあるとしても、それを強調しすぎるのは、あんまり
ズー教)の病い(四姓差別の発生と強化、体制維持と宗教の
政治的利用)でもあった訳で。