南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー58

縁起の中に自我は存在しない~~

今、我々は一つ、非常に重要な事柄を検討してみようーー間違って

解釈された縁起は、仏教に属さないだけでなく、何らの利益もなく、

正直に言うと、弊害さえあるものである。

縁起を、三世を貫通するものとして解釈するのは間違いであり、

決してパーリ経典の原則に立っておらず、経典の文字(文脈)、

または意義から言っても、やはり間違っているのである。

私がずっと言い続けている事は、経文に従えば、仏陀の言う縁起とは、

お互いがお互いに依存しながら相続しているもので、その中には、

何か別のものが挟まる、という事はない(という事)。

縁起は無明から始まり、継続・発展して最後は苦の受となるが、

その間になんらのものも、挟まる事はなく、何ものかを挟めば、

経文(に書かれた内容)の原則に、違反した事になる。

仏陀の教えた意図(意味内容)からみて、我々は非常に簡単に、

三世を貫通する縁起説は間違っている、という事が見いだせる。

仏陀が縁起を教えたのは、邪見を払うためであり、人々の

「我(私)」「人」「衆生」に対する執着を突き崩すため

であった。

そういう目的があって、縁起とは捻転し、相互依存しながら

相続する11種類の状況の連鎖であると教えたが、

その中に、自我の存在する余地は、ないのである。(つづく)

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)