Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー62

誤解の原因~~

悪意からではなく、縁起を誤解して、間違った解説をするのは、

智慧を欠いた<無明>によってもたらされたものであり、

獅子身中の虫が、故意に仏教を食い荒らしたわけではない。

縁起について間違った解釈をするのは、日常用語しか知らず、

法の言語を知らないからである。

我々の、勝義諦への理解能力が、徐々に失われていき、

世俗諦しか理解できなくなると、縁起をば、世俗諦で

説明するようになった。

そして、常見が現れた。

こうした事から、我々は、法の言語と日常用語を

はっきりと区別する必要があり、「人」と「名色」

という単語には、特に注意を払わねばならない。

もし、我々の使っているのが日常用語なら、これは普通の、

一般の人々が話す言語であり、自分の事を「人」だと言う。

もし、我々が法の言語を使うならば、「人」とは言わず、

<名色>または<身心>という。

あなたがそれを「人」と呼ぼうが、名色と呼ぼうが、

実際においては、差異はない。

しかし、本質的な問題は残る・・・「人」または「名色」は、

どれくらいの時間をかけて、生・滅するのか?

それはどのようにして生・滅するのか?(つづく)

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)