誤解の原因~~
悪意からではなく、縁起を誤解して、間違った解説をするのは、
智慧を欠いた<無明>によってもたらされたものであり、
獅子身中の虫が、故意に仏教を食い荒らしたわけではない。
縁起について間違った解釈をするのは、日常用語しか知らず、
法の言語を知らないからである。
我々の、勝義諦への理解能力が、徐々に失われていき、
世俗諦しか理解できなくなると、縁起をば、世俗諦で
説明するようになった。
そして、常見が現れた。
こうした事から、我々は、法の言語と日常用語を
はっきりと区別する必要があり、「人」と「名色」
という単語には、特に注意を払わねばならない。
もし、我々の使っているのが日常用語なら、これは普通の、
一般の人々が話す言語であり、自分の事を「人」だと言う。
もし、我々が法の言語を使うならば、「人」とは言わず、
<名色>または<身心>という。
あなたがそれを「人」と呼ぼうが、名色と呼ぼうが、
実際においては、差異はない。
しかし、本質的な問題は残る・・・「人」または「名色」は、
どれくらいの時間をかけて、生・滅するのか?
それはどのようにして生・滅するのか?(つづく)
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)