Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-11

上記(No10)について、注疏では以下のような説明がある:

「暫時」:いついかなる時においても、安止定に入りさえすれば、

(暫定的に)煩悩を離れる事ができる;心解脱とは、色界と無色界

心解脱(すなわち:色禅と無色禅)を指す。《無碍解道》の中で

は:’Cattāri ca jhānāni catasso ca arūpasamāpattiyo、

ayaṁ sāmāyiko vimokkho’ーー「四色禅と四無色禅は、

暫定的な解脱である」と書かれている。

何故か?

比丘がジャーナに入る時、色禅でああろうと、無色禅であろうと、

その煩悩は、ただジャーナに安住している時のみ、暫定的に停止

するからである。比丘がジャーナから出ると、各種の目標に

対する不如理作意(ayoniso-manasikāra)によって、煩悩は、

再び引き起こされる(からである)。

ジャーナに入っている時は、比丘はジャーナの目標、例えば、

地遍だけを知覚している。もし、彼が安定的に当該の目標に

専注することができるならば、彼の深くて強く、かつ力のある

禅支が煩悩と対抗し、諸々の煩悩は生起する機会を失う。

これが、暫定的解脱(sāmāyika-kanta cetovimutti)である。

永恒与不可動揺的心解脱(asāmāyika-akuppa cetovimutti):

これは、煩悩の暫定的解脱ではなく、永恒的出世間心解脱である。

経の中ではこう言われている ’Cattāro ca ariyamaggā 

cattāri ca sāmaññaphhalāni、ayaṁ asāmāyiko 

vimokkho.’ーー「四聖諦と四沙門果は永恒の解脱である」

(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)